スイスの山旅 その2 | 森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

「世界の国の人と自然」を愛するヨメが
「岩と雪と氷」を愛したダンナと
日々のつれづれを発信します。

今回は、グリンデルワルトに1泊、メンリッヘン(山の上のホテル)に1泊のツアーでした。

初日、グリンデルワルトのホテル前から、宿泊ホテルと夕暮れ時のアイガーです。


アバンティ・クライミングスクール大阪

雪がチョコッとついてる右のピークがアイガー山頂。

山を右側に回り込むと、アルプス三大北壁の一つ、アイガー北壁が見えます。


左に延びる稜線はミッテルレギ稜。1921年に、槇有恒さんが初登頂に成功したことは

古い山屋さんなら誰でもが知るところ。初登頂から実に63年後のことです。


アイガーは1858年に初登頂され、南西稜、南尾根が次々と登られる中、ミッテルレギ

(東山稜)だけが残されていたわけです。

だから槇さんの登頂は、すごい功績だったと思います。


槇さんがこのルートに臨んだ際には、グリンデルワルトから望遠鏡でその様子を皆が

見守っていたといいます。また村人は、稜線でビバーク中の槇さんを、花火をあげて

応援をしたとか・・・。


そのお礼に、槇さんは多額の寄付をして、ミッテルレギ小屋を建設しています。

この小屋は、ユングフラウヨッホに登山電車で上がる際に停車するアイスメーア駅から

左方に見えます。小屋から山頂へは4~5時間かかるそうです。

アバンティ・クライミングスクール大阪

こちら、アイスメーア駅かアイガーヴァント駅(どっちか忘れた!)にあった、北壁のルート図。

現在、北壁には30本以上のルートがあるそうです。


北壁の初登頂は、1938年、上記パネルのS字に延びる実線のルートです。

登頂者で有名なのはハインリッヒ・ハラー、そう、「セブンイヤーズ イン チベット」の作者です。


ハラーは、オーストリア人ですが、このルートに登頂したことがきっかけで、ドイツの

ナンガパルバット(パキスタン)への遠征隊に参加することになります。

ところが、第二次世界大戦勃発により、カラチ(旧イギリス領インド、現パキスタン)で拘束され、

その後、ムンバイ抑留を経て、ディラドゥーン(現パキスタン・一番近い山域はナンダデビ、

ネパールの西隣になります)に移された際、脱走し、チベットへ辿り着くわけです。

そこでの生活やダライラマとの交流が、「セブンイヤーズ イン チベット」です。


それから30年を経て1969年、ノルトヴァンド ディレティシマ(北壁直登ルート)が初登攀

されます。加藤滝男・保男兄弟、今井通子さん、などの日本隊によるものでした。

写真の破線ルートで、クライマーなら誰もがこだわる、山頂に一番近い直線のルートです。

これもすごい快挙であり、今も今井さんが北壁を登っている絵葉書が、グリンデルワルトの

お土産屋さんで売られているほどです。


このルートは ジャパニーズ ディレティシマと名付けられ、40年後の2009年、ドイツと

スイス人クライマーにより、フリー化されました。1991年の初トライ以降、落石との闘い

だったとのことです。


北壁のスピード記録は、スイス人のウーリー・シュテックという人で、2008年2月に

2時間47分33秒をたたき出しています。ビレイを一切取らず、スーイスイと攀じる姿が、

ユングフラウヨッホに上がる登山電車のテレビモニターで映し出されています。

一部早送りで廻しているため、本当に遊んでるかのようでした。


あまりに簡単そうに登ってゆく姿・・・、一瞬、合成?と疑問に思うほどでした。

苦労の一切見えないこんなお気楽な感じの編集で、クライマーは気分を害さないのかな?

とも思いましたが、色んな意味での記録が既に出し尽くされている感のある岳界においては、

逆に、そういった激しく厳しい登攀を笑ってこなすことが、次の記録となってゆくのかも・・・と

思ったりもしました。。。

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さて、今回のツアーは、ユングフラウヨッホから、オーバーメンヒ小屋のハイキングをする

ことになっていました。

ユングフラウ(4158m)の肩にちょこっと乗っかっている展望台(鉄道終点が3454m)から、

大氷原に出て、3626mのメンヒ小屋までの雪上?氷上?ハイキングです。


メンヒ(4099m)のお膝元にちょこっと建てられているオーバーメンヒ小屋(写真中心)。

今回、適当な写真が撮れなかったので、上のはダンナと歩いた時の写真です。

暴風雪などでトレイルがクローズになるときも多いのですが、今回は無事、歩けました。

ユングフラウヨッホにもどると、一気に天候が崩れ(想定内)、景色が全然見えなくなって

しまいました・・・。


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見えていれば、こんな風に、ヨーロッパ最長のアレッチ氷河(世界遺産)が臨めます。

その長さ、なんと全長26km!!と仕事を始めた頃に覚えましたが、最近の温暖化で

氷河はどんどん後退し、23km(スイス政観資料)、ググってみると、23.6km(2001年)

となっています。

そうはいってもこの大迫力です。

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アレッチ氷河の中央部やや後方のを、ベットマーアルプより臨む(2011年7月撮影)

中央黒い三角山のずっと後方に、ユングフラウ、メンヒ、アイガーがあるわけです。

すごい!!全部氷ですよ!!

これがやがて、ローヌ川に合流して、レマン湖を経てフランスに・・・、そして地中海に

注ぐわけです。


ベットマーアルプはこの景色が北側に見えるわけですが、南側に目を転じれば・・・、


アバンティ・クライミングスクール大阪

じゃじゃ~~~ん!

マッターホルンです!!

小さくしか見えないのに、すぐに分かっちゃう!!

というのも、ベットマーアルプと、マッターホルンのお膝元であるツェルマットは、同じ

方向になるので、山の形が同じなのです。


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ほらね!

今回泊まったツェルマットのホテルとマッターホルンです。

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話がそれまくりでしたが、オーバーメンヒ小屋も無事登って、ユングフラウヨッホの観光です。

今年は、この登山鉄道のオープン100周年ということで、ヨッホには新しいコーナーが

出来ていました。エーデルワイスの電飾の中にいろんな置物?とか彫り物?がある

コーナーと、鉄道の歴史を写真と文で記したパネルのコーナーです。


この後、クライネシャイデックに下山して、山のホテルメンリッヘンへと向かいましたが、

翌日もあいにくの雨で展望もハイキングもダメでした・・・。

でも、メンヒ小屋に行けただけでもありがたかったです!!

列車の予約を無視し、早起きして天候が崩れる前に行動したのが勝因!

ま!この身軽さが、一般の観光ツアーには出来ない、山専旅行社の大きなメリットです!


てか、観光ツアーでメンヒ小屋には行きませんしね・・・。

あの、俗界にはない、雪と氷の無音の世界を歩いて、岳人の一角に触れるというのは

観光ツアーにはない醍醐味です。

こんな時、山専門の旅行会社で働けて良かったなぁ、と思います。

雇ってくれたスラさんに感謝感謝!!

今回のご参加者にも感謝感謝!! 本当にありがとうございます!