追悼法要 | 森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

「世界の国の人と自然」を愛するヨメが
「岩と雪と氷」を愛したダンナと
日々のつれづれを発信します。

もう10日も前のことなのだけれど、元スタッフ・現お寺のご住職のお計らいで、西宮の

お寺で、山岳関係物故者の追悼法要が行われた。

今年で3回目、ダンナが亡くなったことがきっかけで始まった法要。

3年前もそうだったのだけれど、今年も、堺ですら雪が舞い散る特に寒い日だった。


住職が、表白(ひょうばく)という、これから執り行う儀式の趣旨のようなものを阿弥陀如来

さんに向けて述べる。


    希わくは

   我らに縁ある山岳関係の物故者たちよ

   極楽の彼方より日夜に見守り

   後に残れる我らを導き給い、


    我らまた、深く亡き人々を偲びつつ

   朝な夕な報恩感謝の

   つとめ怠らざらんことを


    伏して請う

   三宝 深く大悲を垂れて

      哀愍納受したまえ


集まったメンバーは、現役スタッフをはじめ、共に机を並べた面々、そして私が入社する

以前に支店長だった人など、在職期間はさまざま。

山で亡くなった人、山に向かう際に病死した人、山の仕事を通じて知り合った人の死や、

担当の山岳会の方の老死などなど、悼む相手もさまざまだ。

私のように家族を山で失っている人は、今回のメンバーにはいなかったようだけれども、

皆、それぞれに公私を通して、誰かの死に触れている。


高齢で・・・という、順番的な人の死もあれば、トレーニング中に事故で亡くなったスタッフ、

エベレストに登頂し下山中にパートナーを失ったという元スタッフと同僚だ、というような

間接的な人の死もある。


今年は2月5日に、我らが会社の創設者、芳野満彦氏が亡くなった。

マッターホルン北壁日本人初登攀、しかも、冬の八ヶ岳で足の指をすべて失った不自由な

体で成し遂げたという精鋭的な登山家である。

今頃の山ガールたちは、芳野満彦ってだあれ?てな感じだろうけれど、今ならさしづめ、

山野井泰史さんみたいに、絶対的な存在感の登山家だった。


その登山家が日本で初めて、一般の人を山に案内する会社を作った。

それが私たちが勤めている会社。

私たちはその会社で働き、スタッフの入れ替わりはあれど、40数年間、芳野満彦氏の

思いを引き継いできた。

日々、様々な喜びを分かち合い、そして、少なからず悲しみも経験した。


お焼香をしながら、思い浮かぶ顔はみな、それぞれ違うのだけれど、縁あって、芳野満彦が

作った会社で働いた私たち、向き合ったさまざまな人の死を改めて悼み、そして、残ったものの

幸せを見守って頂けるようお祈りをしてきた。


アバンティ・クライミングスクール大阪

表白にある約束みたいに、朝な夕なにお勤めするのは、ちょっと厳しいけれど・・・。

せめてこの日は、と、行く前にダンナコーナーのお水を変え、新しいお花を活けて、

お線香を焚いてから、家を出た。

ダンナが好きそうな、存在感満々のチューリップ。ははは、私好みではないけどね(笑)

アバンティ・クライミングスクール大阪
先月の月命日にかざった、モアモアの草、捨てられずに一緒に入れた。

せっかくの菜の花が負けてるわ・・・。

10日経った今は、もうモアモア、ポイッチョしました。

そして菜の花のつぼみは一斉に開いて、まっ黄色の、土星みたいな輪っかができてます。