探し物をしていて、ふと見つけたメモ。
骨折していて山にいけない間、ダンナは山のショップでアドバイザースタッフとして働かせて
もらっていたことがあった。
ダンナは、働いてお金を家に入れてこそ男だ!それが出来なければ男失格、という古典的な
考えをもった人だったので、体が不自由な中、仕事をさせてもらえることはありがたいことだと、
私は思っていたけれど、当のダンナは、あまり満足していたようではなかった。
山で仕事が出来ないばかりか、自分の体がいうことをきかないために、何をするにも消極的で
家で山の話は一切できない、非常にセンシティブな状態だった。私も会社から来る山の添乗の
仕事は全て断っていた。
カラダが自慢のダンナなのに、山で働けない情けない姿の自分にすっかり自信をなくしている
ダンナが、唯一、男としてのプライドを保てる瞬間が、私にお給料を渡してくれるとき。
そんなダンナの姿を見るのが嬉しくて、仕事から帰ってきて、お給料を渡してくれてお風呂に
入ってる間に、私はお礼のメモを書いて、ダンナが座る席のテーブルにおいておいた。
お風呂から出てきて、机の上のこのメモを見てニンマリするダンナの顔にホッとしたものだった。
ダンナの字で日付が書きこまれている。
メモを書いた私、それを残しておくダンナ・・・、あ~夫婦愛
私たち、なんて素敵な夫婦なんでしょう
これまた永久保存ボックス入り決定。
ダンナネタの泣きブログ・・・、また書いてしまいました・・・。
ブログにダンナのことを書くということは、まだまだ悲しいからとか、辛いからとか、いつも
ダンナのことを思っていたいから、とか、皆さん、色々と憶測されているでしょうが、実際の私の
気持ちは少し違います・・・。
友達に説明するときに私はこういいます。
明日スーパーでお醤油を買わなきゃいけないときを想像してください。
買うのを忘れないように、お醤油、お醤油、って一日中、繰り返していませんか?
でも、買い物リストをメモったら、途端にそのお醤油のことは忘れてしまうでしょ?
覚えておく必要がもうないですもん。スーパーでそのメモを見たら良いのですから、一日中、
お醤油、お醤油、って頭の中で復唱しなくても済みますよね。
それと同じなんです。
ダンナのこと、二人の思い出、忘れたくない、忘れちゃいけない、って頭の中で繰り返していると
気が狂いそうになってきます。
なんせ、沢山の思い出があります。何かするたびに、あぁ、こんなことあった、どこそこへも行った、
などと、忘れたくない思い出にいっぱいぶつかって、あれっ?昨日、何のこと思い出したんだっけ?
なんて考え出すと、眠れなくなっちゃうのです。
でも、ひとたび、ブログに書いてしまえば、忘れていいモードに頭が切り替わって、私の小さな
メモリーはスッキリ・・・、パニック状態から解放されます。
つまり、私にとって、ブログを書くという作業は、永遠に残しておくことが出来る箱(ブログ)に
大切な思い出を詰め込む、箱詰め作業なのです。
このブログは私にとって、永久保存の宝物箱なんです。
この箱詰め作業をしなければ、いつまでもダンナの思い出に右往左往し、がんじがらめになって
しまうのです。悲しみから自分自身を開放してやるための重要作業なのです、私にとっては・・・。
もしブログをやっていなかったら、どうやって心の整理をつけていたかなって思います。
こんな思いでブログを綴っていたという私の気持ちも書いておきたくて、どーでもいいことを
長々と書き綴ってしまいました・・・。