米粉を海外で購入すると恐ろしいくらい高額で、思い切って使うことができないのが悩み。

思いついたのは、製粉機なしでいかに米粉を自宅で作ることができるのか?

製粉機なしでは、片栗粉のようなきめの細かいものは仕上がりませんが、自宅のミキサーでも十分に揚げ物やおやつに使用するなら大丈夫レベルに完成しました。

ちなみに今回米粉に使用したお米は、地元のスーパーで1キロ2.75スイスフランのお米です。

作り方

作り方は麹より手間がかからないと思います。以下は、お米一合を使用した場合です。

手順1

いつもの洗米と同じ要領でお米一合分洗います。

手順2

洗米が終わったら、しっかりと乾燥させます。

手順3

お米が完全に乾燥したら、いつものミキサーで粉状にしていきます。私が使用したのは、キッチン用の一番小さい、ハーブミキサーです。

手順4

ミキサーから取り出し、ふるいにかけます。茶漉しでためしてみたのですが、気が遠くなる作業でしたので、お菓子作りの時に使用するふるいを使用しました。

右側がふるいにかけた後の米粉、左側がまだ粒子が大きいものになります。粒子が大きいものはクリスピーフライドチキンか何かにしようと思っています。右側は、パンケーキを子供に作ってあげようかな・・・

私はグルテンフリー人間ではありませんが、店頭でよくグルテンフリーの商品を聞かれます。そのくらい需要があるということになりますよね。しかし、日本製の米粉を海外で購入すると、10スイスフラン(アメリカだったらきっと10ドルとかですよね)以上かかってしまいます。

需要があるのに勿体無い。小麦粉と同じ価格で販売できたら、絶対メガヒットなはずです。

どこかのスーパーが販売を開始してくれるその日まで、自宅でせっせと頑張って米粉を作っていきたいと思います。


皆さんのお腹に優しい、お料理の参考になれたら嬉しいです🎵




米粉を海外で購入すると恐ろしいくらい高額で、思い切って使うことができないのが悩み。

思いついたのは、製粉機なしでいかに米粉を自宅で作ることができるのか?

製粉機なしでは、片栗粉のようなきめの細かいものは仕上がりませんが、自宅のミキサーでも十分に揚げ物やおやつに使用するなら大丈夫レベルに完成しました。

ちなみに今回米粉に使用したお米は、地元のスーパーで1キロ2.75スイスフランのお米です。

作り方

作り方は麹より手間がかからないと思います。以下は、お米一合を使用した場合です。

手順1

いつもの洗米と同じ要領でお米一合分洗います。

手順2

洗米が終わったら、しっかりと乾燥させます。

手順3

お米が完全に乾燥したら、いつものミキサーで粉状にしていきます。私が使用したのは、キッチン用の一番小さい、ハーブミキサーです。

手順4

ミキサーから取り出し、ふるいにかけます。茶漉しでためしてみたのですが、気が遠くなる作業でしたので、お菓子作りの時に使用するふるいを使用しました。

右側がふるいにかけた後の米粉、左側がまだ粒子が大きいものになります。粒子が大きいものはクリスピーフライドチキンか何かにしようと思っています。右側は、パンケーキを子供に作ってあげようかな・・・

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このたび、自サイトで コラムをスタート しました🎉 日々の生活に役立つアイデアや、美しさ・健やかさを高めるヒントをお届けしています。

 

また、「美活道場」ページで無料PDFをプレゼント中!
インナーケアやエネルギーケアを取り入れて、自分らしく輝くためのエッセンスを詰め込みました💖

 

元々はSEOライターとして、毎日何千文字もキーボードを打っていたのですが、AI様の登場によりバトンタッチ。

今後のたくさんのページを脱字をしないAI様の圧勝になるのでは?

なんて思いながら、コラム寄稿を始めました。

このサイトは、もともとクリスタルストーンインテリアの販売サイトとして、3年前に仕事の片手間に作成していたものですが、

なかなか、ブルーライトの下に5時間以上いると目がしょぼしょぼしてくるのです。

 

自分の心のケアができないのに、人のケアができるのか手ということで、ゆとりある時間の中でサイトをリニューアルさせていただきました。

 

サイトの内容はというと、CHAT GPTでも読みづらい、聞きづらい、伝えにくいあまり人に知られたくない悩みを解決したい!

といったお悩みをサクッと解消していただけるように、ポチッとまとめた内容となっています。

 

そして、私のゴールでもあった「人を笑顔にする仕事」もここに組み込んじゃいました。

食事、美容、エネルギー(ここでは心のゆとりとしましょう)をうまくバランスをとりながら整えて、

毎日楽しく過ごしていただくための「プレミアムパートナーシップ」もご用意させていただきました。

 

人は誰も異なるため、個々に似合ったプランを計画し、必要であればその人に必要なリソースを顧客に紹介もしています。 このプランのチームとして参加を希望されるヒーラーさん、食育カウンセラーや自然療法の道にいらっしゃる「我こそは!」という方、お便りお待ちしています。

一緒に、悶々と過ごされている方々へ、明るく楽しい毎日を提供しましょう宝石赤

 

そして、これを読まれている方で、心明るく過ごしたい!と思われている方々、お問い合わせお待ちしています🎵私はスイスを拠点としていますので、クライアント様とのやり取りはメールになります。ですので、個人のお顔を伺うことは”ほぼ”ないと思います。

 

気になりますよね、、、いったいどんなプログラムメモなんだ!

 

もちろん、オンラインで対面でもご希望であれば承りますが、お顔が見えない方が心の奥のことまでお話いただけるかと、私は思っています。

 

 

サイト内には…💡
男性更年期対策 のページもあります!
インナーケア・エネルギーケア についても発信中✨

気になる方は、ぜひチェックしてみてくださいね!

 

🔗 コラムはこちら 下矢印下矢印

 

 

 


🔗 美活道場&無料PDFはこちら 下矢印下矢印

 

🔗 男性向けページもご用意しています。

 

 

 

感想やシェアも大歓迎です😊✨ アンチコメントやここはもっとこうした方が良い!という叱咤激励もお待ちしています。

 

 

 

 

 

 

こんにちは爆  笑

 

スイスの今年の冬は、ちょっぴり去年より寒く私も風邪をひいてしまいました。

 

鼻→熱→喉→鼻の王道を経験してしまいましたが、現在は風邪が治った時に出るお鼻の色に変化してきているので、もう少しで完治でしょうか?

 

先日、父を癌で亡くしたお話をさせていただきましたが、今回はそれでも書き続ける素晴らしい方を紹介させてください。作品のギャラリーへの入り口は、このページ最後方部に添付しているリンクよりご入場いただけます。

 

さむーい冬(日本は大寒波とニュースで見ました)、目の補養にぜひご利用くださいラブラブ

 

座本大汪(ざもと だいおう)氏は、現在ガンと闘いながらも、書の道を歩み続けている書道家です。彼の書には、単なる美しさだけでなく、命の尊さや精神の力強さが刻まれており、その作品にはこれまで以上に深い魂が込められています。

ガンとの戦いの中でも筆を執り続ける姿勢は、多くの人々に勇気と感動を与えています。彼の作品は、病を乗り越えようとする強い意志と、日本の伝統文化への深い敬愛を映し出しており、まさに「生きた書」として多くのファンに支持されています。

現在も、体調と向き合いながら創作を続け、オンラインを通じて作品を届けることで、より多くの人々にその想いを伝えています。彼の書は、見る者に希望や力を与える存在であり、単なるアートではなく、人生そのものを映し出す一筆となっています。

作品のご購入はこちらで確認できます。

 

 

 

 

座本大汪(ざもと だいおう) プロフィール

日本を代表する書道家の一人として知られる座本大汪。その筆致には、日本の伝統美と精神性が息づき、見る者の心を打つ力があります。

幼少期より書の世界に魅了され、書道の先任者である(故)松本龍鳳先生に師事。また、玄雲社の(故)木村知石先生の指導を受け、書道の奥深さと精神性を学びました。

彼の作品は、ただの美術作品にとどまらず、家に飾るだけで縁起が良いとされる開運書としても人気を集めています。特に「日本の心」をテーマにした作品は、多くの人々に感銘を与え、国内外で高く評価されています。

現在、座本大汪の作品はオンラインでも購入可能となり、その独自の書風と力強い筆致に魅了されるファンが増え続けています。特に、オーダーメイドの書も受け付けており、個人の願いや想いを込めた特別な一枚を求める人々から支持されています。

 

これまでの書歴

1971年
(故)松本 龍鳳先生を師とし、玄雲社・(故)木村 知石先生にも指導を仰ぐ。
1984年~1997年
日展に初入選。以後、1997年までの間に計9回入選。
1988年
書法研究 芳祥会を発足し、代表に就任。
1993年
玄心会・(故)劉 蒼居先生を師とする。
1995年、1997年
読売新聞社賞を受賞。(計2回)
1998年
読売書法会 理事に就任。
2000年
創玄会(洪鳳社)・(故)金子 卓義先生を師とする。
書法研究 嚶嚶を発足し、代表に就任。(現在に至る)
2001年
毎日書道展 審査会員に就任。
2002年
嚶心書道会を発足し、理事長に就任。(現在に至る)
2003年
佛教大学 非常勤講師に就任。(現在に至る)
2007年
書法研究 芳祥会の理事長に就任。(現在に至る)
 
作品はこちらのオンラインギャラリーでご確認できます。
 
 

それではみなさん、寒い冬暖かくして風邪などをひかないようにご自愛くださいませ。

 

前回のブログではダーッと書いてしまったので、話の流れがつかめなかった!人いますよね、きっと。 書く順番が前後してしまいましたね。前回のブログはこちら

 

今日は、最後をいかに楽しく過ごしてもらうか? 「緩和ケア」について記載したいです。

 

私の家族が緩和ケアを選んだ最大の理由は本人の意思があったから、なんですが、実は最後の入院時にはこれは本人にもありませんでした。

 

私はスイスに住んでいるので、何千キロも離れた父に会いにいく2度目の旅路となったのですが、1回目の7月末からのお話から始めます。

 

 

 緊急入院

去年2023年の2月に、末期がんが循環器全体に広がって余命半年と宣言された父だったのですが、その時は私も父も抗がん剤治療には反対でした。なぜなら高齢だったからです。このときに、放射線治療の存在を知っていたら少しは変わっていたかもしれません。最初の緊急入院は、お風呂での転倒が原因でした。ただ単に転んだだけでも骨折しやすい老体ですから、癌持ちとなるとそれなりに広範囲にそれまでは我慢していた臓器が悲鳴を上げ始めます。これが、2024年5月のお話。

 

腰の治療を受け、足の治療を受け自宅に一旦は戻ったのですが・・・

 

この後、今年2024年の7月に日本にいる家族から急遽帰国してほしいと連絡が入り、日本へ。病室にいた父はご飯どころか水分も取れないほど衰弱してました。が、私の顔を見るなり何か言いたそうに・・・言いたいことは山ほどあったと思いますが、とりあえず仕事のこと、生活のことなどなど普段と変わらない会話をすることに。

 

この際には、すでに余命は2ヶ月と宣告されていました。搬送先の病院からがんセンターへ転院した理由は、「がん細胞が成長して、脊髄を圧迫することによる痛みの軽減のための放射線治療」だったのですが、限界はもうそこまできていたと言えます。

がん細胞が大きくなるとさまざまなところを圧迫し始めます。隣の臓器から骨まであらゆるところにです。幸いにも私の出身地には大きながんセンターがあり、ここで放射線治療の存在を知ることに。

 

脊髄を圧迫した痛みを放射線治療で治療することに。とにかく痛みをとってあげることが大切で、この病院には、海外から癌治療に訪れる人も多いらしく、設備は十分に整っていて、手ぶらで入院できるほどさまざまなサービスがありました。病院を見た時、安心しました。

 

 

放射線治療は、癌そのものを撃退する治療もあるとパンフレットに記載されていたので、病室の父に

 

「これをやったら治ると言われたら、やってみたい?」

 

と、父に尋ねると、首を横に振って何もしたくないと返答が返ってきました。本人がやりたくないと言ったので私もそれ以上同じ質問はしませんでした。しんどかったはずです。何もしたくないほど疲れ果てていたのでしょうか。

 

入院している本人にはあまり心地良い話ではありませんが、余命宣告が短い期間になると、ホスピスに入るかどうかの選択をしないといけなくなります。しかし、私の選択肢の中にホスピスは全く入っていませんでした。なぜなら、一人で死んでいくからです。病室で、全く知らない看護師と医師に囲まれて逝くことになり、当然私には会うことはできません。最悪の場合、近所に住んでいても会えないかもしれません。

 

本人も、自宅に帰ったら家族に迷惑がかかると考えていたのか、その話は私には触れず、私もまた介護ができる場所に自分はいないので強く自宅療養について触れることができませんでした。が、

 

「病は気から」と言います。余命半年だった人がその後1年以上生き抜いたのだから、もう少し好きなことを好きなだけして逝くことも可能だろうというアイデアが私の中でニョキニョキ。

 

「まずは、歩かない?」

 

と、長い間寝たきりだった父に問いかけてみました。

 

「歩くことで、何かが変わるだろうし、そうしている間に冬休みに孫たちが日本に来れるかもよ!」

 

と言い続けて、

 

「お父さん、家に帰りたいやろ? 家でいいんちゃうの?」

 

というと、この言葉にありがたいことに思い切り反応してくれた父、次の日から病院内でリハビリを行うことに。トイレも自分で行けるようになり、座ってテレビ観戦もできるようになり、いよいよがんセンターから最初に搬送された病院へ戻ることに。

 

 

 自宅介護の手続き

新しい病院に転院してからは、私たち家族のゴールは「お父さんを家に連れて帰る」となり、介護保険の面接や各種保険の手続き、そして介護に使用するベットや手すりなどのレンタル品の手配など、申し訳ない中これら全てを実家にいる家族が手配。

私の役目は、心のビタミン注入して1日でも長く余命を楽しんでもらうことだったので、カラオケに行った話や、子供達の話、食べることが大好きな我が家の前日の夕飯の話など、病院にいたらわからないことを新聞がわりにお届け。

 

うさぎここで、今これを読まれている方にうさぎ

 

介護保険の適用のための面接ですが、思いっきり質問をされます。質問をされている本人は、その時頑張って返答しようとするのですが、これはNGです。ここで頑張っちゃうと、実際にどういった症状なのか、何が必要なのか保険屋さんの方がわからなくなってしまうからです。

なので、「入院中のいつもの自分」で面接を受けてくださいね。面接は、入院している部屋の中で行われます。このときに、どの介護保険のランクが適用されるか決定されます。

 

一通りプランが決まった時、子供をスイスに置いてきた私は、スイスの自宅に戻ることに。自宅介護が決定したので、あとはもう大丈夫だろうとと思っていたのですが・・・

 

 

 

 緩和ケア、ここ要注意

ターミナル期に突入すると、突然元気になり、そのあと急に昏睡状態になりそのまま逝く人が多いと、癌センターのリーフレットに記載されていましたが、その通りでした。

 

父の敬老の日のお祝いに、スイスからLINEのビデオ通話で参加。みんなで食卓を囲み、好きなものを食べ、プレゼントを嬉しそうに広げている父の映像が。

 

「ほら、やっぱり歩くってすごいんよ」と思っていたのですが、翌日シャワーを浴びているときにネックレスがぶち!ときれ、「縁起悪いなぁ、いやぁ・・・まさかね」なんて思ってパソコンに向かおうとしたときに着信歴を発見。実家からでした。

折り返すとすぐに戻って来いとのこと。

 

幸い2日後の飛行機のチケットを取ることができ、帰省。

 

家に着いたときには、弱り果てていた父でしたが私とちゃんと会話をすることができました。間に合ったのです。が、私と会話が終わった次の日から昏睡状態に。

 

介護ベットの隣に布団を敷いて、同じ部屋で過ごすことにしました。

 

 

 耳は聞こえてるんやで!

昏睡状態に入っても、耳は聞こえているそうです。なので、私たちが悲しんだり、寂しそうな話をしているのも本人にはちゃんと聞こえてしまいます。

 

我が家の掟は、

 

どんな時でも楽しく

 

ですので、食事中も、まるで一緒に食卓を囲んでいるかのように、毎日介護ベットのある部屋に向かってみんなで話しかけ。もちろん返事はしませんが、

 

「そこで寝ていても一人じゃないよ」

 

と感じてもらえたと思います。

 

朝起きると、家族全員が「おはよう」と挨拶をし、出かけるときは「行ってきます」、食事をとるときは「父さん、いただきます!」、寝るときは「おやすみなさい」とみんなで声がけです。

 

声は、かけてもらうのと、かけてもらわないのでは気分が全く異なります。

 

あちらからすると

 

「あ、うちの家族は元気そう」

 

こちらからすると、

 

「お父さんもここにいるんやで」

 

と感じることができます。

 

 

 満月の都市伝説

 

 

人は逝くときは、満月か夜中だとよく言いますが、お昼でした。それも静かに。私は銀行にいたのですぐに家に戻ることに。家に戻った数分後に、自宅医療の担当医に死亡を確認してもらい、葬儀の準備です。

 

お父さんも同時に、葬儀の準備です。孫や子供たちに体を綺麗に拭いてもらって、全部完了したら今後はドライアイスを体に詰め込んでいきます。真夏だったのでいつも以上にたくさんのドライアイスだったに違いありません。

 

 

 お葬式

介護期間があったため、我が家は”身内葬”にしました。父の介護を最後までしてくれた、甥っ子たちや義姉の体力の懸念もあり、家族だけで見送ることにしました。

 

どこから棺桶に入るのか?

 

自宅からです。葬儀場に移動するときは棺桶に入ってしまいます。ですので、最後に体を拭いてあげるときに、たくさん触ってあげてください。まだあったかいです。ドライアイスが体内外に設置されるまでは、生きている時とほぼ同じ体温をしています。

 

人間の神秘・・

 

人間死んでも、急に冷たくなったりはしないのです。

 

自宅で棺桶に移動されると、葬儀場へ運ばれます。通夜は葬儀場で行われますので、生のお父さんとは、ここでお別れです。

棺桶に入っても、葬儀が終わるまで顔は見れます。

 

このあと葬儀が終わり、火葬場へいきます。

 

 

 生前に準備が必要なもの

証券の相続

証券は、死後は相続できません。生前に名義変更を素手おく必要があります。

 

銀行を1カ所に集める

たくさんある銀行預金を1カ所にまとめます。わからない場合は、死亡届が受理された後に最寄りの区役所から各銀行に通達が行き、自宅に通知が来ます。

 

加入保険の確認

加入している保険を全て確認します。確認方法や、加入している生命保険がわからないといった場合は、あなたが今加入している保険の担当者に手助けをしてもらう事ができます。

 

年金の確認

年金の入金日などなど、年金にもいろいろ種類がありますのできちんと確認しておきましょう。証券マンであれば、証券保険などもありますので、きちんと調べておきましょう。

 

 

 遺品整理

私は、父が最後に来ていたパジャマや、ゴルフ用のジャージセットを数点いただきました。このほか高価なものは、今まで父のお世話をしてもらった実家に。

たくさんある遺品、売れるものは売ってしまった方が良いです。これはお金の問題ではなく、ゴミ捨て場が驚くほどの遺品で埋まってしまうからです。愛用していた品を、また他の誰かに使用していただけるのはありがたい事です。

 

衣料品であればBook OFFが引き取ってくれます。

高価なものは、生前に相談して売却してしまいましょう。そのまま受理する場合は、相続税がその時の時価で課税されます。

 

 

 

 最後に・・・

余命が宣告されたら、できるだけ最後まで一緒にいてあげれる選択をしてあげてください。

 

本人は必ず「家族に迷惑がかかるから」と言います。生きている私たちでもそう思うのですから、これから逝ってしまうとわかっている人は、必ずそう言います。

 

緩和ケアの選択、間違いではなかったです。介護という仕事も増えますが、最後のスキンシップです。棺桶に入っちゃったら、もう触れることもできないので、ぜひ、検討してみてください。

 

⚠️注意⚠️

ホスピスが悪いとうわけではなく、最後まで楽しんで逝ってもらおうという、私たち家族なりの見送り方が「後悔」という言葉をこれっぽっちも残さなかったからです。

 

きっと「最後まで幸せだった」と思ってもらえたに違いありません。