前回のブログではダーッと書いてしまったので、話の流れがつかめなかった!人いますよね、きっと。 書く順番が前後してしまいましたね。前回のブログはこちら。
今日は、最後をいかに楽しく過ごしてもらうか? 「緩和ケア」について記載したいです。
私の家族が緩和ケアを選んだ最大の理由は本人の意思があったから、なんですが、実は最後の入院時にはこれは本人にもありませんでした。
私はスイスに住んでいるので、何千キロも離れた父に会いにいく2度目の旅路となったのですが、1回目の7月末からのお話から始めます。
緊急入院
去年2023年の2月に、末期がんが循環器全体に広がって余命半年と宣言された父だったのですが、その時は私も父も抗がん剤治療には反対でした。なぜなら高齢だったからです。このときに、放射線治療の存在を知っていたら少しは変わっていたかもしれません。最初の緊急入院は、お風呂での転倒が原因でした。ただ単に転んだだけでも骨折しやすい老体ですから、癌持ちとなるとそれなりに広範囲にそれまでは我慢していた臓器が悲鳴を上げ始めます。これが、2024年5月のお話。
腰の治療を受け、足の治療を受け自宅に一旦は戻ったのですが・・・
この後、今年2024年の7月に日本にいる家族から急遽帰国してほしいと連絡が入り、日本へ。病室にいた父はご飯どころか水分も取れないほど衰弱してました。が、私の顔を見るなり何か言いたそうに・・・言いたいことは山ほどあったと思いますが、とりあえず仕事のこと、生活のことなどなど普段と変わらない会話をすることに。
この際には、すでに余命は2ヶ月と宣告されていました。搬送先の病院からがんセンターへ転院した理由は、「がん細胞が成長して、脊髄を圧迫することによる痛みの軽減のための放射線治療」だったのですが、限界はもうそこまできていたと言えます。
がん細胞が大きくなるとさまざまなところを圧迫し始めます。隣の臓器から骨まであらゆるところにです。幸いにも私の出身地には大きながんセンターがあり、ここで放射線治療の存在を知ることに。
脊髄を圧迫した痛みを放射線治療で治療することに。とにかく痛みをとってあげることが大切で、この病院には、海外から癌治療に訪れる人も多いらしく、設備は十分に整っていて、手ぶらで入院できるほどさまざまなサービスがありました。病院を見た時、安心しました。
放射線治療は、癌そのものを撃退する治療もあるとパンフレットに記載されていたので、病室の父に
「これをやったら治ると言われたら、やってみたい?」
と、父に尋ねると、首を横に振って何もしたくないと返答が返ってきました。本人がやりたくないと言ったので私もそれ以上同じ質問はしませんでした。しんどかったはずです。何もしたくないほど疲れ果てていたのでしょうか。
入院している本人にはあまり心地良い話ではありませんが、余命宣告が短い期間になると、ホスピスに入るかどうかの選択をしないといけなくなります。しかし、私の選択肢の中にホスピスは全く入っていませんでした。なぜなら、一人で死んでいくからです。病室で、全く知らない看護師と医師に囲まれて逝くことになり、当然私には会うことはできません。最悪の場合、近所に住んでいても会えないかもしれません。
本人も、自宅に帰ったら家族に迷惑がかかると考えていたのか、その話は私には触れず、私もまた介護ができる場所に自分はいないので強く自宅療養について触れることができませんでした。が、
「病は気から」と言います。余命半年だった人がその後1年以上生き抜いたのだから、もう少し好きなことを好きなだけして逝くことも可能だろうというアイデアが私の中でニョキニョキ。
「まずは、歩かない?」
と、長い間寝たきりだった父に問いかけてみました。
「歩くことで、何かが変わるだろうし、そうしている間に冬休みに孫たちが日本に来れるかもよ!」
と言い続けて、
「お父さん、家に帰りたいやろ? 家でいいんちゃうの?」
というと、この言葉にありがたいことに思い切り反応してくれた父、次の日から病院内でリハビリを行うことに。トイレも自分で行けるようになり、座ってテレビ観戦もできるようになり、いよいよがんセンターから最初に搬送された病院へ戻ることに。
自宅介護の手続き
新しい病院に転院してからは、私たち家族のゴールは「お父さんを家に連れて帰る」となり、介護保険の面接や各種保険の手続き、そして介護に使用するベットや手すりなどのレンタル品の手配など、申し訳ない中これら全てを実家にいる家族が手配。
私の役目は、心のビタミン注入して1日でも長く余命を楽しんでもらうことだったので、カラオケに行った話や、子供達の話、食べることが大好きな我が家の前日の夕飯の話など、病院にいたらわからないことを新聞がわりにお届け。
ここで、今これを読まれている方に
介護保険の適用のための面接ですが、思いっきり質問をされます。質問をされている本人は、その時頑張って返答しようとするのですが、これはNGです。ここで頑張っちゃうと、実際にどういった症状なのか、何が必要なのか保険屋さんの方がわからなくなってしまうからです。
なので、「入院中のいつもの自分」で面接を受けてくださいね。面接は、入院している部屋の中で行われます。このときに、どの介護保険のランクが適用されるか決定されます。
一通りプランが決まった時、子供をスイスに置いてきた私は、スイスの自宅に戻ることに。自宅介護が決定したので、あとはもう大丈夫だろうとと思っていたのですが・・・
緩和ケア、ここ要注意
ターミナル期に突入すると、突然元気になり、そのあと急に昏睡状態になりそのまま逝く人が多いと、癌センターのリーフレットに記載されていましたが、その通りでした。
父の敬老の日のお祝いに、スイスからLINEのビデオ通話で参加。みんなで食卓を囲み、好きなものを食べ、プレゼントを嬉しそうに広げている父の映像が。
「ほら、やっぱり歩くってすごいんよ」と思っていたのですが、翌日シャワーを浴びているときにネックレスがぶち!ときれ、「縁起悪いなぁ、いやぁ・・・まさかね」なんて思ってパソコンに向かおうとしたときに着信歴を発見。実家からでした。
折り返すとすぐに戻って来いとのこと。
幸い2日後の飛行機のチケットを取ることができ、帰省。
家に着いたときには、弱り果てていた父でしたが私とちゃんと会話をすることができました。間に合ったのです。が、私と会話が終わった次の日から昏睡状態に。
介護ベットの隣に布団を敷いて、同じ部屋で過ごすことにしました。
耳は聞こえてるんやで!
昏睡状態に入っても、耳は聞こえているそうです。なので、私たちが悲しんだり、寂しそうな話をしているのも本人にはちゃんと聞こえてしまいます。
我が家の掟は、
「どんな時でも楽しく」
ですので、食事中も、まるで一緒に食卓を囲んでいるかのように、毎日介護ベットのある部屋に向かってみんなで話しかけ。もちろん返事はしませんが、
「そこで寝ていても一人じゃないよ」
と感じてもらえたと思います。
朝起きると、家族全員が「おはよう」と挨拶をし、出かけるときは「行ってきます」、食事をとるときは「父さん、いただきます!」、寝るときは「おやすみなさい」とみんなで声がけです。
声は、かけてもらうのと、かけてもらわないのでは気分が全く異なります。
あちらからすると
「あ、うちの家族は元気そう」
こちらからすると、
「お父さんもここにいるんやで」
と感じることができます。
満月の都市伝説
人は逝くときは、満月か夜中だとよく言いますが、お昼でした。それも静かに。私は銀行にいたのですぐに家に戻ることに。家に戻った数分後に、自宅医療の担当医に死亡を確認してもらい、葬儀の準備です。
お父さんも同時に、葬儀の準備です。孫や子供たちに体を綺麗に拭いてもらって、全部完了したら今後はドライアイスを体に詰め込んでいきます。真夏だったのでいつも以上にたくさんのドライアイスだったに違いありません。
お葬式
介護期間があったため、我が家は”身内葬”にしました。父の介護を最後までしてくれた、甥っ子たちや義姉の体力の懸念もあり、家族だけで見送ることにしました。
どこから棺桶に入るのか?
自宅からです。葬儀場に移動するときは棺桶に入ってしまいます。ですので、最後に体を拭いてあげるときに、たくさん触ってあげてください。まだあったかいです。ドライアイスが体内外に設置されるまでは、生きている時とほぼ同じ体温をしています。
人間の神秘・・
人間死んでも、急に冷たくなったりはしないのです。
自宅で棺桶に移動されると、葬儀場へ運ばれます。通夜は葬儀場で行われますので、生のお父さんとは、ここでお別れです。
棺桶に入っても、葬儀が終わるまで顔は見れます。
このあと葬儀が終わり、火葬場へいきます。
生前に準備が必要なもの
証券の相続
証券は、死後は相続できません。生前に名義変更を素手おく必要があります。
銀行を1カ所に集める
たくさんある銀行預金を1カ所にまとめます。わからない場合は、死亡届が受理された後に最寄りの区役所から各銀行に通達が行き、自宅に通知が来ます。
加入保険の確認
加入している保険を全て確認します。確認方法や、加入している生命保険がわからないといった場合は、あなたが今加入している保険の担当者に手助けをしてもらう事ができます。
年金の確認
年金の入金日などなど、年金にもいろいろ種類がありますのできちんと確認しておきましょう。証券マンであれば、証券保険などもありますので、きちんと調べておきましょう。
遺品整理
私は、父が最後に来ていたパジャマや、ゴルフ用のジャージセットを数点いただきました。このほか高価なものは、今まで父のお世話をしてもらった実家に。
たくさんある遺品、売れるものは売ってしまった方が良いです。これはお金の問題ではなく、ゴミ捨て場が驚くほどの遺品で埋まってしまうからです。愛用していた品を、また他の誰かに使用していただけるのはありがたい事です。
衣料品であればBook OFFが引き取ってくれます。
高価なものは、生前に相談して売却してしまいましょう。そのまま受理する場合は、相続税がその時の時価で課税されます。
最後に・・・
余命が宣告されたら、できるだけ最後まで一緒にいてあげれる選択をしてあげてください。
本人は必ず「家族に迷惑がかかるから」と言います。生きている私たちでもそう思うのですから、これから逝ってしまうとわかっている人は、必ずそう言います。
緩和ケアの選択、間違いではなかったです。介護という仕事も増えますが、最後のスキンシップです。棺桶に入っちゃったら、もう触れることもできないので、ぜひ、検討してみてください。
⚠️注意⚠️
ホスピスが悪いとうわけではなく、最後まで楽しんで逝ってもらおうという、私たち家族なりの見送り方が「後悔」という言葉をこれっぽっちも残さなかったからです。
きっと「最後まで幸せだった」と思ってもらえたに違いありません。