見た目は、多くの目を誤魔化せることができる。
普段の私生活がだらしないのに、清潔を見せ付ける者。
他人の事なぞ興味がない、ただ今まで自分は何処かで他人に良く見られたいが為に自分に合わない見た目を着てきた、見た目とは服装やら靴やら帽子やら髪型やら、ただオシャレするのは、大切な事だ。
僕が言いたいのは、身の丈に合わずに自分を知らずにオシャレをする事なんだ。
向き合うことは、静かな時の中自分と対峙してく中過去と今と可能性を見る。
それは、とても痛いんだ。
申し訳なくなるくらいに
それを思う中で、不自然さを捨ててくことに至った、モテるとか見た目を良くするよりも自然なカッコ良さを求めるようになった。
固い脳みそしてるから、そういう柔軟な事が出来ないとか思われたくないんだけど、ただ好きな服着て好きな靴履いて、自分という心で生き様を残したい、そこに不自然はいらないんだ。
秩序や常識は守りたい、だが自分の臆病を理由にそれらを言い訳にしたくないだけ。
常識は時に邪魔になる時がある、一歩踏み出すのに非常識が必要になる時もある。
そのときに、正当化して常識を語りたくないんだ。
ダサい生き方だと、個人的に思う。
なにより、悔しいくてダメだ。