【私がワタシになったとき、ヒロシマ。】
自我が芽生えた瞬間はよく覚えていてそれは空だった。ワタシはとにかく争い事や人の噂話や悪口が苦手な子供で、育った広島は広島だけれど、自分の中ではずっとカタカナ表記のヒロシマであり、人さんが人さんを傷つけ合うこと=戦争が恐ろしくて仕方がなく、いつも空に手を合わせて平和を祈っていた。しかしその一方で能天気な気質もあり、ただただ戦争は恐ろしいというだけで、あまりその本質をみようとしていなかった。
昔描いた貼り絵さん
以前、詩人@橋爪文さんのお話会に参加させて頂く機会があった。文さんは1931年広島に生まれ、14歳で被爆。被爆による原爆症で入退院を繰り返し、身体の痛みを抱えながら『種まきの旅』と命名し、70歳から世界中を旅し、被爆体験を語られている。
お話会で印象的だった文さんの言葉に、『日本はどうですか?』という質問に対し『日本は自然も沢山あって、素晴らしい国だけど...、井の中の蛙です』と、言葉を詰まらせながらおっしゃられた言葉が、もうものすごくショックで胸に詰まる思いだった。
ワタシ自身もそうだからあえて書くが、日本人って世界に比べたら本当に勉強していないんじゃないかと思う。日本の歴史、文化、伝統、モノの見方...。SNSなどで海外の方との交流のなか、自分より海外の方のほうが、日本についてよっぽど理解が深いなと、驚くこともしばしばだ。
文さんの『井の中の蛙』という言葉の中には、世界中を旅して被爆体験を語る中で、肝心の日本人に、全く言葉が届いてないんじゃないのかなって。これだけのことがあって、忘れさられていくって、日本人として恥ずかしいことじゃないのかなと衝撃をうけた。言葉の通じない海外の方が「ヒロシマ」と聞くと目の色が変わると。自分自身が情けなくなった。