【THE処女(神様は変態がお好き)〜SNSアカウント削除したが演歌にならなかった話〜】


冒頭からAVタイトルのパクリのごたるでスンマヘン(知るか)。

あまり霊感あるほうじゃないんだが、絵を描いてる時、本当に集中して絵を描いてる時に、心が無になる時ってたまにあるんだが、そういう時って絵に描かされているような感覚になる。


ゼロから描いてるんじゃなくて、最初から完成されたものに向かって描かされているような。全てが逆な感覚とでもいうのかな? たぶん人生もそうだと思うんだけど、こういう感覚に満たされると、『おかえりなさい』とでもいうのか『ただいま』とでもいうのか、アチラ世界はいつもコチラが開くのを待ってるんだなということに気がつく。


描けば描くほど金脈に当たり『コレは!この打法があったのか!この色使い最高!コレはっ!コレはっ!』という内なる喜びの連打(絵の勉強を全くしていない人特有の発見の喜び)、今生きて絵を描いていることが、どんな奇跡的な出来事なのかという歓喜で満たされる(年に一回くらいだす。また標準的価値観からするとヲレの絵は『ヘタ』です)。

ネアリカフェス@AKIRAとのコラボネアリカ。お地蔵さんがAKIRA。右手がワタシ。


あとあまりないけれど絵のキャラクターが浮き出てきて『ああ描け、こう描け』指示してくるときあります以下。


たくさん言葉を頂いたので途中からメモったのだが汚くて解読不能。ひたすら『変態を描け、変態は健康の源、悪いものが寄り付かない』と言っていた。トータル3回出てきた。


今や表現者もサバイバルみたいな時代になってきており。絵を描いて、描いた絵をSNSにアップして、個展を企画して、SNSで宣伝して、絵を売ってと、表現者自身が商業戦略として色んな媒体を使って自身の作品を売り出していて。プロデュース業に長けてるというか芸達者じゃないと出来ないなぁと。受け手の変化によって表現する側のスタイルも変化するのだろうけど、これでは表現者が潰れてしまう。


自分の場合は絵を描いているんだけど、何故絵を描いているのかというと、今はただ『好きだからひとつの道をきわめたい』とか『自己探求』だったりする。絵をお金にしたいとは思えなくて、一時期心が浮ついていたとき、絵を販売させて頂いた時期があったものの心が重くなってしまい・・やはり向いてないなぁと。『芸』と『お金の管理』って両立するのかなぁ? それが出来ないからこそコツコツコツコツ絵を描いているような気がする。他の表現者の方との繋がりももうパンク状態だし(面白い人って沢山いるからキリがないよね...)。もうライバルは自分自身しかいないかなーと。外側ではなく内に内に向かいたい。言葉では説明できないけれど、神様が見て喜ぶ絵を目指したい。

『完全な芸術とは偶然の力を借りないと成立しない』(偶然完全)by 勝新太郎


とまぁ。『お前は現実世界をとるのか? 液晶世界をとるのか? それとも人間やめますか?』。とまぁグイグイ迫られる昨今でして、私が下したアンサーは『自分の型をやぶること』。SNSでがんじがらめになってた状態から一歩進むために、XとInstagramのアカウントをアプリごと削除したのであった。今んとこナニも変わらない。暫くしたらFacebookともサヨウナラして、アメブロ一本槍でチマチマ畑を耕しながら、生命エネルギー全開で絵に挑みたい。処女膜再生。処女に戻るであーる。

っていうかアメブロさまもSNSな件っ🍥💦💦