【絵が描けなくなったらサイコー】


先日あるYouTubeで、インタビュアーの方がアーティストの横尾忠則さんに「もし明日起きて、今までの実績や知名度がなくなり、絵が全く描けない状態になっていたらどうしますか?」と質問されていて、「サイコーだね。絵が描けないことがアーティストにとって最高の状態であって、かつてやったことをやるんじゃなくて、初心。描けない状態で絵を描くことを求めているんですよ」との即答アンサー@ヨコヲ様に、胸が踊りまくってしまった。


『なんために絵を描くのか?』にも繋がるかもしれないけど、究極『絵が描けなくなるために絵を描く』ってあるような気がする。

初めて紙に描いたハリエさん


10年前、精神病院で描いた貼り絵。

それまでの人生。「自分には絵なんて描けないよーん、遥か遠い何百万光年先のチチンプイプイなり〜」とずっと思い込んでいたのにある日。

「あれ? なんか知らんが物凄い勢いで絵描いとる?...」「紙をちぎって貼るの繰り返し作業や、貼り絵の手触り凸凹感触楽しい...」「なんだコレ? 自分の意思じゃなく描いてるような気がするんですけど...」「あぅあぅあぅあ〜!! 描けたーっ!描けたーっ!描けたーっ!描けたーっ!描けたーっ!描けたーっ!!描けたーっ!!!描いたどーっ!!」。完成した時の凄まじい狂喜乱舞。この感動は、やれ服を買っただの旅行行っただのとは得ることが難しいような気がする。

『絵を紙に描く』という概念がなく、壁に貼り絵したさい院長からプレゼントされたスケッチブック。

一日中絵を描いていた日々。

パンを焼くのが好きな母へのプレゼント。『笑粉(エミコ)とはお婆ちゃんの名前なんだけど、なんだかヤバい粉みたいだなー。。病院内で描いた絵は、完全に自分の楽しみだけで描いていたから楽しかった🍥✨


あの時なぜ? そこに何を感じて絵を描きはじめたのかはよく分からないけど、技術的なことはさおき、純度100パーセントだったあの頃のあの絵は今は描けない。描き続けることによって、技術的にはこなれてくるのかもしれないが、どうしても固まってしまうものがあったり、絵の出来不出来等結果や、人さんからの評価などを考えはじめると、本来自分が描きたいものから遠ざかってしまう。


今も描けなくなるときは沢山あって、過去のパターンや癖が出てくることに気が付いては描き直し描いては描き直し...。思考はしょっちゅう過去にすがる🍥💦💦 まっさらで描いていない。


※上記インタビューは14:37分〜


漫画家の赤塚不二夫さんも、利き手じゃないほう(左手)で漫画を描かれていたというが、『今まで出来ていたことが出来なくなる』って不便だけど未知との遭遇みたいなもんなのかなぁ。。こういう絵が描きたいと思っても手も足もでない世界、自分がコントロール出来ない範疇に自ら飛び出すんだから、そのうち自分の手とは違う、なんか違うもんが生えてくるかもしれない。。自分を手放す。


(※ちなみにこの記事、実家が℃田舎Wi-Fiが繋がったり切れたり繋がらんかったりするもんで、書いたのが飛んだり重複したりで、当初心がザワついていたのだが、コントロール不可なので自分を手放して書いとますw ②時間...🍥💦💦)

キムラ作・左手ネアリカ(ネアリカ48手)。

手が疲れてガクガクになり、マイルールがどうでもよくなる。自分の枠がなくなる。ドヘタすぎて落ち込むが、こんなくだらんことする暇人なかなかいないのかもー。ブサカワ(味わい部門)de賞。


【話変わって】

香川@金比羅山の階段を久しぶりに歩いたである。うだうだ書きたいことあるんだけど、またいつか。

体力奪われると無心っつか脳味噌が空っぽになり、ただただ呼吸出来ること、身体様太陽様地球様、全ての存在への感謝、同じ信仰心を持つ皆様との繋がり。ああなんというエレクトリック娑婆世界。

紐が変

参道入り口。

ツボだったので。




お寺や山が好きだーっ!!


あゝネアリカと旅する女。