満員電車では、

涙は出るものの

少しずつ

日本での生活に馴染んでいった




Rexに支えられて、

息子は、テニスに勉強に励んだ



中学校のテニス全国大会にも

出場し、

高校の強豪校から

入学のお誘いが来るほど

までになった




息子は、

オーストラリアに帰ることなど

サラサラ頭になかったはず




逆に、

オーストラリアには、

戻りたくないと言っていた





日本に帰国して4年






とても幸せなことに

オーストラリアに

再び、親子留学する資金を

もらえることになった





私の留学の大蔵省は、

私の母





昔、パパちゃんがカナダに

移住したかった夢を

娘が叶えれるかもしれない





そんな私に

たくさんの出資をしてくれた





金額は以前に書いたとうり




クッカリーで永住権を取る



息子を英語教育に戻す





息子の努力で、

日本語も少しずつ

遅れは取り戻しては

いたものの



このままでは、

テニスの強豪校に

顔パスで入学ができたとしても

日本の体育会系で

ど根性テニスを叩き込まれ



大学でも

テニスを続け




将来は、テニスコーチ







私が、スポーツ推薦で

高校、大学といったように





でも、息子には

そんな青春時代は、

過ごしてほしくなかった



世界に出て

視野を広め

価値観を高めて

欲しかった





そして

何より

私がオーストラリアに

戻りたかった




高校はオーストラリアに

戻るから、

と言った私に



反抗期らしい、

反抗もなかった15歳の息子が

必死で抵抗した






以前のように

犬を飼うから

オーストラリアに行こうよ、

なんて手に乗るはずもなく




何度か、衝突したと思う






が、




この家のルールは

私が決める






息子の意見など通るはずもなく





息子15歳

私、41歳




再び、

パースに親子留学で

舞い戻った









息子に、人生で

最悪の日だ

と言われたのを

覚えている💦




それでも、

私は一度きりの人生

君は、大人になったら

好きな事をしたらいい




いつかオーストラリアの

永住権が取れた時

息子は、絶対私に感謝する




その事だけは

わかっていた