めいちゃん

丸々と太った子犬の頃

この時にも、会いたかったなぁ❤️









真夏のオーストラリアから

真冬の東京へ

2011年の冬




取り敢えず、息子の学校だけは

どうにかせねば、

当時、帰国子女受け入れの

小中学校の国際化クラスなんてのは

国立か私立のインターぐらいしかなく





国立に受かる程の英語力や

現地校での成績もなく

かと言って、

オーストラリアで散財してきたのに

これからまた

年間数百万かけてインターに

通わせるのも限界が



最終的には、

以前通っていた

公立の小学校(6年生)へ戻した





オーストラリアにいたのは、

たった3年間だけなのに

完全に逆カルチャーショックに

陥った私と息子





家の天井が低くて

空がグレー色で

人でいっぱいの満員電車



あれはしちゃダメ

静かにしなさい

いつも周りを気にした

言動や行動





息子は、

すっかり日本語も遅れた

教科書が読めない

漢字がわからない




天真爛漫いつもどこでも

誰とでも

あの難民の黒人達とだって

仲良くなれる息子が

登校拒否をおこした



全く言葉のわからない

オーストラリアに来て

泣いたのは2回だけだったのに。。。




息子は、辛うじて

テニスにだけは行けたので

学校に行かず

テニスの練習だけは続けさせた





前職に復帰した私は、

満員電車がつらくてつらくて


日本の社会に適用できず


1ケ月程で、自主退職をした






毎晩、息子を抱きしめて寝た




オーストラリアに戻りたい

パースに帰りたい

どうして

日本にいるの






頭も身体も、

息子も現実についていけない

地獄のような生活だった



古くからの友人も

家族も

たった3年間だけなのに

どうしてそんなに

逆カルチャーショックになるのか

不思議がった




帰国から、再度

オーストラリア留学できるまでの

4年間


毎日、毎日

オーストラリアに帰りたかった

パースに帰りたかった




ただただその想いだけだった