そういえば、まだ換金してませんでした・・


            (当選前提ですwww)






サマージャンボ宝くじ






 きっと5億円当たっちゃうんだろうなぁ・・




当たったらとりあえず休暇とってどっか




いきたいなぁ・・




でも、ホントに当たったらどうなっちゃうんだろ?






 もう10年以上前のことですが




私の弟の経験談をよく思い出します。




ほんとに実際のお話です。






 ある年、会社の先輩と一緒に




宝くじを買いに行った私の弟。




まあ、体育会系で、ある程度の礼儀は




わきまえる私の弟は、宝くじ売り場の列に




並ぶ際に、普通に言ったそうです。






「先輩、先にどうぞ」






 あとで思うに、全てはそこだったと。




なんと、先に買った先輩の宝くじは




1等の前後賞が2本入っていて




3,500万が2本で、計7,000万円が




当選したのです。 




悔しいのと同時に本当に驚いたそうです。




私の弟は言います。




「人生で最も1等に近づいたから




 もう当たらないと思うから宝くじは買わない」




なんかそれって正しいのかな?(笑)






 さらに興味深かったのは、その先輩の話です。




当時、結婚するだろうな・・くらいの付き合いの




彼女がいたそうですが、彼女に7,000万当選を




言うべきか、言わないべきか・・・?




真剣に悩んだそうです。




7,000万のことを話して結婚したとしても




それは果たして本当の愛なんだろうか?




自分に自信のない私には痛いほど気持ちが




わかる気がします。




でも、結果、その先輩は彼女に全て話したそうです。




7,000万もの大金のことを隠し続けることも




現実的に難しいし、彼女を信じて




そのお金を自己資金にして、仕事で独立したのです。






 こんなに身近なところで、そんな出来事が




あったと思うと、宝くじって当たる人には当たるんだな




って思わされますね。






 明日あたり宝くじ売り場に持って行って




抽選結果を見てもらおっと。




私なら心配ないです。












 愛を確認する彼女もいませんから(笑)












 どうか神様、遠慮なく私の宝くじを




当てちゃってください!







 TVであんまりしつこくCMしてて


気になってしまって仕方ない。


観てきましたよ、 海猿。



 もともとマンガからドラマ化した本作ですが


私はマンガが先でした。


お話の内容などは、やはりマンガから


採用していますが、色々設定などが変わって


ドラマ・映画のお話になっているのがわかります。



 でも、今作はすごいなーって思いましたねー


旅客機の水上着水のシーンは大迫力でした。


マンガでは何人もの死亡者が出てしまい


目も当てられない程、酷いシーンが出てきましたが


映画では、乗客乗員全員を救助するという偉業に


挑戦する主人公たち。


まあ、実際無理でしょうってくらい凄い挑戦です。


果たして全員が助かることができるのか!?


それは、観てのお楽しみってことで・・・



 終盤の盛り上がりのシーンでは


周りの人が何人も泣いてました。


暗くて見えはしないものの、すすり泣くような


声?息?が聴こえてくるわけです。


正直、マンガである程度知っていたところもあるので


私は泣けませんでしたが、知らなかったら


泣いてたと思います。


涙腺ゆるい方ですから私。


ああ、こんなとこで泣かなくてよかったぁ・・・と


胸をなでおろしました。



 前作、前々作はTVで放送されたものを視ましたが


今作は映画で観てよかったと思えました。


まだもう少し上映されてるはずなので


まだの方は是非。



 ああ


海猿が終わる頃にはまた来ちゃうんだろな


映画館。





 だって、踊る大捜査線はじまるもんね(><)




フジテレビの思惑通りの私です(涙)




 先日、宇都宮で研修があり走ってきました。




北関東自動車道






 仕事等で太田まではよく使っていたのですが




太田より東方面は開通してから行ったことが




なかったんです。




思えば、北関東自動車道の太田の先が




開通したのは、忘れもしない3・11の大震災の




すぐあとの3月19日でした。




その数日前に太田のインターまでいって




降りたのを思い出します。




まだ開通していない太田のインターの先に




併走していた自衛隊の車両がたくさん入って




行ったのを見たので、とてもよく覚えています。




道路自体は完成していたのでしょう。




自衛隊車両は福島方面への支援部隊の様で




車両に芦屋基地と書かれていたと記憶しています。




私は「芦屋」という文字を見て




「関西の方から来てくれたのかー」




と思ったのですが、後で調べてみたら




なんと芦屋基地というのは九州の福岡にある




基地だったのです。まさに日本全国から




東北被災地への支援部隊が集結していたのだと




改めて実感しました。




まだ一般車両は開通前で走っていませんから




北関東自動車道は、開通直前で被災地への




ホットラインの役割を果たしていました。






 あれから月日は流れ、ついに私も




太田から東方面の地へ足を踏み入れる日が




やってきたのです。




まあ、宇都宮までなので東北道に入って




すぐ到着しちゃうんですけどね・・




でも、はやかったです。宇都宮まで




あんなにはやく到着できるとは思いませんでした。




高崎から約1時間ちょいでいけちゃいます。




感想と言えば、山を切り開いて開通したかのような




道中ですので




見渡す限り山・山・山・・・時々トンネル(笑)




まあ、そんなもんでしょう(汗)






 でも、あんなにはやく行けるなら




今度、那須とか佐野アウトレットとか




気軽にお出かけできちゃいますね。








































一緒に行く人いないですが(涙)&(笑)













 どうしよう・・




頑張ってみようかな・・・禁煙・・




何ヶ月かに1度はそんなことを考えてみる




どうしようもない喫煙者の私です。




3日で2箱くらいのペースです。




多いですかね?






 最近、使い捨てライターが変わったのは




みなさんもご存知でしょうか?




何て言うのか、一言で言えば






 使いづらくなった






の一言でしょう。




 すごいです。この21世紀に退化していく




商品など、そう考えつきません(笑)




冗談はさておき、簡単に火がつかないように




加工されたのです。幼児などが誤って




着火したりしないようにする為です。




使い捨てライターもここまで来たかと




感心させられます。






 そして今日、この使い捨てライターが




なんと日本生まれの商品だと知りました。




1970年に初めて造られた使い捨てライターは




見向きもされず消えていったそうです(笑)




その後、1975年、時はオイルショック後の時代




どの家庭でも節約に励んでいた背景を受けて




安くて1,000回以上着火できるということで




大ヒットしたそうです。




今では、世界中で使われている訳ですが




まさか、日本生まれとは驚きました。






 これは予備知識ですが




使い捨てライターのボディには小さな字が




ゴチャゴチャかかれた使用上の注意が書かれた




シールが貼られています。もしくは別でシールが




貼られていることもあるのですが




よく見ていただくと




「生産物賠償責任保険付き」という記載があり




商品そのものにも保険が付いています。




噂でこのシールを剥がしてしまうと保険が




効かなくなるから剥がしてはダメだと友人に




言われたことがありますが




真相は定かではありません。




以下は、WIKIからの抜粋です。







生産物賠償責任保険(PL保険)


第三者に引き渡した物や製品(Product)


業務の結果(Completed Operation)に起因して


賠償責任を負担した場合の損害を、身体障害


または財物損壊が生じることを条件としてカバーする


賠償責任保険である。


例えば、次のものがこの保険の対象となる。


  • レストランで食事をした客が帰宅後、食中毒を発症し入院した。

  • 工事業者が水道管の工事を行ったが水道管の継ぎ目の

  • 締め付けが弱く、後日、そこから水漏れが生じた。

  • 自動車整備工場で車のオイル交換をしたが、高速道路走行中




 使い捨てライター、なかなか奥が深いです。




1970年から時を経て、まさかの退化を遂げた




使い捨てライター。




あれ




オレも最近、徹夜無理だったり




もの覚えが悪かったり・・




退化してる!?




いやいやそんなことないでしょ・・




んんん!?




念のためでいいです・・






誰か、オレに保険かけておいてください(泣)





 どうしようもないことばっかり書いていますが




今日は、ちょっとまじめなこと書いちゃいます。






 先日、弟から連絡が来て教えてくれました。




私の少学校6年生の時の恩師が亡くなりました。




まだ54歳でした。しかも、恩師は中学校の




校長先生だったというのです。






 私は、幼少の頃は真面目ないい子でした(汗)




というよりは、小4の頃まではいじめられっ子で




いじめられなくなったものの、おとなし過ぎで




小5になってミニバスに入って少し元気になった




感じでしょうか。バスケットボールというスポーツ




を通じて何かよい影響があったのかといえば




今は全く思い出せません。そのミニバスの顧問を




していたのが、その恩師でした。




でもそのミニバスでさえ、すぐに辞めてしまいました。




 しかし、巡合せというのでしょうか




6年生になったら、クラスの担任が恩師だったのです。




とても活動的な先生で、自身もバスケットボールを




やっていて、後で知ったのですが現役の国体選手




だったそうです。




思えば、いろいろ教わりました。




ボーリングのスコアの付け方、花札の遊び方




アメリカのTVドラマ「エアーウルフ」「ナイトライダー」




が面白いとビデオを見せてくれたり。




なぜか私に目をかけてくれて




それまでの自分とは思えないほど、1年の間に




積極的になれたのを子供ながらに実感していました。




 その後、中学、高校とバスケットポール部を




続けたのは、その恩師が




「中学いったらバスケやってみろよ」




と言ってくださったのがきっかけだったのです。




中学では県ベスト4、高校では関東大会3回




全国へも2回いくことができました。




バスケットを通じて楽しいことや辛いことを




経験して、精神的にもより強くなれたと思います。




今思えば、全て恩師のおかげだったのではないか




あのひと言がなかったら、バスケットをしていた




だろうか。大げさかもしれませんが、あのひと言が




私の人生を変えてくれたのかもしれません。




 恩師は、中学の校長だったと聞いたのですが




葬儀会場で周りの方から教えてもらったところ




今年の4月に校長に就任したばかりだったそうです。




「これからだってときに・・・」




そう繰り返し口にしていました。




式場に並んだお花には、バスケット関係者の名前が




ずらりと並んでいて、群馬のバスケットボール界に




どれだけ貢献してきたかがうかがえました。




監督として中学校を全国へ導いた実績も




耳にはしていましたが、改めて実感しました。






 私が、何より感じたこと、思ったことは




こんなにお世話になった、影響を与えてくれた




恩師に、なぜ一度も会いにいかなかったのか




なぜひと言感謝の気持ちを伝えなかったのか




ということでした。きっと、親と同じなのでしょう。




孝行したい時に親孝行をしておかなければって




やつです。こんなに悔やむくらいなら




どうして行動しなかったのか




本当に悔やまれます。






 親兄弟、恩師やお世話になった方など




思い返せば心当たりがあるはずです。




私は、両親が離婚して別々に暮らしていた




父親にも大人になって会うことができないまま




他界してしまいました。




人が亡くなるということがどんなことか




この歳になって改めて思い知る今日この頃です。




だから、みなさんに伝えたいです。






何か伝えておきたいこと





伝えておきたい相手はいませんか。