毎月8日はお薬師様のご縁日です。
午前中は仏教聖典副読本(さとりの知恵を読む)使いゆっくりのペースで学んでいます。
一つのテーマを代わりばんこに読み、ご住職がわかりやすくひもといてくれます。
今月から仏のたとえ話の章にはいりました。
たとえ話1・毒矢のたとえ~
例えば、人が恐ろしい毒矢に射られたとする。親せきや友人が集まり、急いで医者を呼び毒矢を抜いて毒の手当をしようとする。
ところがそのとき、その人が「しばらく矢を抜くのを待て。だれがこの矢を射たのか、それを知りたい。男か女か、どんな家のものか、また弓はなんであったか、大弓か小弓か、木の弓か竹の弓か・・・・・・・などなど~それらがすっかりわかるまで矢を抜くのは待て」と言ったらどうであろうか。
いうまでもなくそれらのことがわかってしまわないうちに、毒は全身に回って死んでしまうに違いない。
この場合にまずしなければならないことは、まず矢を抜き、毒が全身に回らないように手当をすることである。引用ここまで
私たちの生まれてから発達する段階はまず本能があって、感覚が備わり、知性が備わり、理性が備わって初めて人となる。
理性は今起こっていることを認識でき周りとのかかわりの中で、その場の気を読むこともできます。
一瞬にみわけ行動できる「識別する力」を持っています。
自分に予期しないことが起きたとき優先順位がわかり行動できるでしょうか?私たちの理性が(器)が試されます。
知的な関心や好奇心は成長に欠かせない大切ものです。知りたい!と知識を増やして視野が広がり世界観が変わり人生を豊かにすることもあります。
考えていることや行動していることが的をえていますか。
「天は(神)はあなたに何を望んでいるのでしょうか」自分を知り自分の使命を生きる、無理せずに❗️
午後からのお薬師さまのご真言「おんころころ せんだりまとうぎ そわか」を参拝に来られているお一人おひとりが順番に3回唱えることをご住職が提案され唱えました。
木魚に合わせながら、おんころころ・・・・・あれっ普段良い声だと思って唱えていましたが、こんな声だったの?って我ながら緊張が声に伝わってしまいました。
一人で唱えると自分のことがよくわかりました。
とんでもない勘違い(*^^*)おかしいと耳で感じたら修正していくのが大切だとご住職はおっしゃいました。
ご真言には霊力があります。嫌なことがあったらおんころころ・・・・と早く流してしまいましょう。
いつもの寺友のみなさんと。