いつもお読み頂きましてありがとうございます。

 

 

 

ツインレイは

 

 

 

光と闇の関係から、切り離すことはできません。

 

 

 

光と闇、どちらも同じくらい大切ですが

 

 

 

どちらかというと

 

 

 

闇のほうが大切かもしれません。

 

 

 

何故なら、光は闇なしでは生まれないし

 

 

 

光は受け入れやすくとも

 

 

 

闇はそうはいかないからです。

 

 

 

最近のセッションで、私自身の闇について

 

 

 

お話させて頂く機会があったことに加え

 

 

 

最近ブログをご覧になり始めた方もいらっしゃると思いますので

 

 

 

こちらでお伝えできる範囲ですが

 

 

 

久々にお話させて頂こうと思います。

 

 

 

 

私自身の大きな闇の一つに

 

 

 

幼い頃からの吃音があります。

 

 

 

自己憐憫は避けたいので簡単にしますが

 

 

 

笑われたり、変な目で見られたりすることも多く

 

 

 

いつも緊張と心配、恐れの日々でした。

 

 

 

特に学校での音読や発表は地獄で

 

 

 

生きた心地がしませんでしたし

 

 

 

電話やお店での注文など、日常でも苦労しました。

 

 

 

因みに、この自身の闇ですが

 

 

 

スピリチュアルに長けている方でも

 

 

 

言い当てた方というのはいませんでした。

 

 

 

要は、真の闇というのは

 

 

 

自分自身にしかわからない、ということです。

 

 

 

そして、その闇を抱え生きていく中

 

 

 

周りの人が、当たり前にできることが

 

 

 

自分はできないことに悩み、苦しみ

 

 

 

自分は劣っていると思う体験をしては、絶望し

 

 

 

これを今世で何とかしてこないといけないと

 

 

 

心ではわかってはいましたが

 

 

 

勇気や覚悟がなく、逃げてきたし

 

 

 

諦めもありました。

 

 

 

 

そして今、この闇を克服したか…というと

 

 

 

そうとは言い切れないのです。

 

 

 

と言いますのは

 

 

 

まだ時折、吃音の症状は出ますので

 

 

 

克服という意味が

 

 

 

完全に症状が出なくなるということだとしたら

 

 

 

克服はしていないと言えます。

 

 

 

ただ以前は、今のように人前に出たり

 

 

 

人前で教えたりということは

 

 

 

私とは無縁で、苦痛で

 

 

 

嫌で嫌でたまらないことでしたから

 

 

 

それを苦に思うことなく

 

 

 

むしろ自分の闇を受け入れ

 

 

 

楽しんでいる状態というのは

 

 

 

非常に心地がよいものです。

 

 

 

こちらが本来の私の姿でした。

 

 

 

 

克服というと

 

 

 

元々できないものをできるようにする

 

 

 

というようなイメージがあって

 

 

 

中々ハードルが高いように感じてしまいますが

 

 

 

本当は、元々できていたものが

 

 

 

心に何かしらの傷を負ったことにより

 

 

 

できなくなってしまっていることが多いので

 

 

 

克服というよりも、魂の修復という意識で

 

 

 

自分の魂を

 

 

 

本来の丸い形に戻してあげるようなイメージを持つようにすると

 

 

 

受け入れやすくなるのではないかと思います。

 

 

 

そして、吃音というスムーズに話せないことが

 

 

 

幼い頃から自然と

 

 

 

内に向かうことをしてきたように思い

 

 

 

内に入る癖がついていたと、のちにわかりました。

 

 

 

スムーズに話せない、上手く伝えられないことから

 

 

 

誰かに相談するということを殆どしてこなく

 

 

 

いつも自分へ問いかけ

 

 

 

自分で答えを出すということをしていた…

 

 

 

それが、きっと自分の中の神(宇宙)に

 

 

 

繋がりやすかったのだろうと…

 

 

 

自分の闇が

 

 

 

実は、神と繋がるためのものだったとは…

 

 

 

闇は闇だけれど

 

 

 

闇とは光なのだと、改めて思いましたし

 

 

 

いつどんなときも

 

 

 

神(愛)は

 

 

 

自分たちの周りに存在していると感じる時でした。

 

 

 

そして、私自身の闇については

 

 

 

二年以上前にも、天界の方に背中を押して頂き

 

 

 

ブログを書いたことがあったことを

 

 

 

今、書きながら思い出しました。

 

 

 

闇の人生を送っていたことさえ気づかないほど

 

 

 

闇が当たり前になっていた私の半人生…

 

 

 

 

闇を語るものは少ない

 

 

 

それは真の闇の意味を知らないからだ

 

 

真の闇を体験していてもそれを遠ざけるからだ

 

 

闇の本質を知らなくともよい

 

 

 

闇は遠ざけられるものではないという

 

 

それに触れるだけでもよい

 

 

 

闇を知れ

 

 

知るのだ

 

 

自分なりの闇を発信していけばよい

 

 

完璧でなくともよい

 

 

 

今自分のできる範囲での

 

 

闇を発信するがよい

 

 

 

それが愛のエネルギーを振り撒くことになる

 

 

綺麗におさまらずともよい

 

 

 

荒削りで整ってなくとも構わない

 

 

泥臭くてもよい

 

 

 

己の闇から光を

 

 

発信していけ

 

 

 

 

威厳さが伺える凄まじいエネルギー

 

 

 

でも、優しさと愛が溢れていますよね。

 

 

 

どうやったって…愛しかありません。

 

 

 

まずは、自分の闇を知ることから始まります。

 

 

 

私自身の闇はこれだけではありませんが

 

 

 

ご自身の闇のご参考にして頂けたら幸いです。

 

 

 

 

↓二年前のその時のブログ

 

 

 

完璧とは程遠い、泥臭い闇から愛の発信です笑

 

 

 

今とエネルギーが全く違います…

 

 

 

改めて天界の方に感謝の気持ちが込み上げてきました。

 

 

 

 

 

もう一つ、前々回のブログの最後に

 

 

 

写真を載せさせて頂きましたので、良かったらご覧ください。

 

 

 

 

 

 

今日も愛溢れる一日でありますように

 

 

最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。