いつもお読み頂きましてありがとうございます。

 

 

 

先日、大学試験についてブログに書いたところですが

 

 

 

つい最近も大学入試共通テストで

 

 

 

不正行為が発覚したという事件があり

 

 

 

試験の在り方や見直しなど

 

 

 

教育方面で、大きな変化の時期が来ていることを

 

 

 

改めて感じました。

 

 

 

良い、悪いで言うと

 

 

 

不正を行った生徒が悪く

 

 

 

非難されるのでしょうけど

 

 

 

そこまでのことをしなければならなかった

 

 

 

追い詰められた何かがあったのだろうと

 

 

 

東大前で起きた事件の男子生徒もそうですけど

 

 

 

その日一日、一回限りで

 

 

 

人生が左右されてしまう程の

 

 

 

プレッシャーをかけられ

 

 

 

プレッシャーも、一つの試練なのかもしれないけれど

 

 

 

伸びやかなその人の資質が

 

 

 

一日の試験で判断されてしまうのは

 

 

 

とても勿体ないことだなと思います。

 

 

 

事件に限らず

 

 

 

何か問題が起こった時というのは

 

 

 

大体が加害者と被害者に分けられますが

 

 

 

スピリチュアルでは

 

 

 

良いも悪いもないと言われますね。

 

 

 

加害者と被害者

 

 

 

どちらが良い、どちらが悪いと

 

 

 

決めていたりすることはないでしょうか。

 

 

 

無意識に加害者側が悪で

 

 

 

被害者側は悪ではないと

 

 

 

加害者側を非難してしまうことって

 

 

 

結構あるように思うのですが

 

 


この世に、良いも悪いもないなら

 

 


それさえも要らない概念かもしれませんね。

 

 

 

多くの方は

 

 

 

加害者より被害者になりたがる、という点を

 

 

 

天界の女神は指摘していました。

 

 

 

非難されるより、非難するほうへ廻りたがる…

 

 

 

無意識に悪を排除して、光になりたがる、と。

 

 

 

でも、それではいつまで経っても

 

 

 

愛の方向へは進みませんね。

 

 

 

統合とは、簡単に言うと

 

 

 

光と闇が一つになることですから

 

 

 

闇を悪として排除していては

 

 

 

仲良く一つに融合することは難しいですよね。

 

 

 

最近起きている事件や

 

 

 

コロナを含めての出来事は

 

 

 

自分とは違うもの、異なるものやことを

 

 

 

だんだんと受け入れる、赦すことを

 

 

 

私たちに身をもって

 

 

 

感じさせているように思います。

 

 

 

それが必要な人には、自分が感染して

 

 

 

本人から濃厚接触者へ連絡をしたり

 

 

 

周りに迷惑をかけてしまうかもしれないという

 

 

 

加害者側の立場を…

 

 

 

自分が濃厚接触者として

 

 

 

仕事や生活に影響しているという

 

 

 

被害者側の立場を…

 

 

 

それぞれが体験しているのかもしれません。

 

 

 

いつ自分がなってもおかしくない

 

 

 

不思議ではない

 

 

 

加害者に近い立場を体験することで

 

 

 

加害者を受け入れやすい社会になっているのかもしれません。

 

 

 

天界は、あらゆる事件において

 

 

 

被害者のケアも、加害者のケアも必要だと。

 

 

 

両方というのがポイントですね。

 

 

 

悪を叩いても、悪はなくならないことを

 

 

 

私たちは長い歴史の中で

 

 

 

十分に学んできましたから

 

 

 

悪という概念を外して

 

 

 

愛でもって癒し、救っていけるように…

 

 

 

あらゆる分野が

 

 

 

愛の元へ統合される時期が近づいています。

 

 

 

 

 

今日も愛溢れる一日でありますように

 

 

最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。