いつもお読み頂きましてありがとうございます。

 

 

 

お盆期間中、雨が降り続いております。

 

 

 

オリンピック終了を待ち構えていたように

 

 

 

降り始めた雨

 

 

 

選手や関係者の方々に影響なく

 

 

 

無事に終えることができ

 

 

 

本当に良かったなという思いです。

 

 

 

激しい雨が降っている地域の方々

 

 

 

どうぞお気をつけてお過ごしください。

 

 

 

 

私が幼かった頃の迎え盆は

 

 

 

ナスやキュウリで作った精霊馬を飾って

 

 

 

日が暮れた頃、親族たちとお墓参り。

 

 

 

帰りは提灯に明かりを灯して

 

 

 

消えないように慎重に帰ったことを記憶しています。

 

 

 

従妹たちと賑やかに過ごすことが楽しみで

 

 

 

夏休みの一つのイベントのようでした。

 

 

 

ご先祖供養のことについては以前にも書いたので

 

 

 

重複するところがあると思いますが

 

 

 

お盆休みの方もいらっしゃると思いますので

 

 

 

ご先祖供養のことや死後の霊について書こうと思います。

 

 

 

人が亡くなった後、四十九日に法要を行うことは

 

 

 

今では一般的になっていますね。

 

 

 

亡くなってから四十九日間は

 

 

 

亡くなった方が霊となって、家や身近な場所など

 

 

 

この世にとどまっていると言われることも。

 

 

 

昔から言われていることは

 

 

 

疑いもせず、つい信じてしまうことが多いですね。

 

 

 

四十九日について、一般に伝えられている説明は

 

 

 

調べれば色々と出てきます。

 

 

 

四十九日は仏教用語で

 

 

 

死後四十九日の間に次生の縁が決まるとされ

 

 

 

七日ごとに審判が行われ、遺族がお祈りすることで

 

 

 

極楽浄土へ行けるとされるようです。

 

 

 

でも、本当のところはどうなのでしょうか。

 

 

 

実は、人が亡くなってから四十九日間も

 

 

 

この世にはいられないそうです。

 

 

 

では何故、四十九日と言われ続けてきたのでしょうか

 

 

 

信じる、信じないはお任せしますね。

 

 

 

昔から七という数字は縁起がいいとされ

 

 

 

七の数は完成を意味します。

 

 

 

そこから、七の七倍は四十九で

 

 

 

最も縁起がいいとされるという

 

 

 

意外にも単純なものでした。

 

 

 

そして、四十九日間もこの世に居られない

 

 

 

ということについてですが

 

 

 

実際は亡くなった霊が

 

 

 

この世にとどまることができる期間は

 

 

 

最大でも二十一日。

 

 

 

二十一日間は、亡くなった方の魂は

 

 

 

この世を自由に行動できるようです。

 

 

 

そして、二十一日というのは最大限で

 

 

 

悟った霊であれば、一時間も地上にはいないそうです。

 

 

 

そのまま、スーッと次元の違った世界に帰っていくそう。

 

 

 

死後に家族の元に挨拶に来ることなどありますが

 

 

 

それは二十一日間は

 

 

 

そうした自由が許されているからです。

 

 

 

そして、中にはこの世に執着を持ち

 

 

 

二十一日間という期間を過ぎても

 

 

 

地上にいる場合があり

 

 

 

それが地縛霊で、行動の自由がきかないために

 

 

 

その土地や場所にいるようになります。

 

 

 

ですが、彼らも長くは地上にいることはできず

 

 

 

あの世の苦しい生活から逃れたい思いから

 

 

 

地上に意識を同通させて、人に憑りついたり

 

 

 

霊現象を起こさせます。

 

 

 

だから、見える時と見えない時があるのだそうです。

 

 

 

そして、一時間もしないで帰っていく悟った霊は

 

 

 

あちらの世界でも行動範囲が広く

 

 

 

上層階に行けば行くほど

 

 

 

その行動の自由も広がるそうです。

 

 

 

私たち個人のご先祖様も

 

 

 

ぜひ、上層階で自由に幸せに暮らしてほしいですね。

 

 

 

そのために私たちができること。

 

 

 

それは、地上での生活を調和させること。

 

 

 

心を調和させ、調和した生き方をすること。

 

 

 

もっと言えば、光の道を歩むことです。

 

 

 

お経を読んだりすることが

 

 

 

ご先祖の供養になると考えられているのが

 

 

 

一般的かもしれませんが

 

 

 

生きている時、お経の意味を知らない方に

 

 

 

お経を読んだとしても

 

 

 

亡くなった霊はその意味を知らないわけですから

 

 

 

救われることはないそうです。

 

 

 

稀に僧職の方で、経文の意味を知って悟って

 

 

 

実践している方が読経する場合は

 

 

 

光の波動により、浄化され供養となるようですが

 

 

 

それができるのは、限られた方のみだそう。

 

 

 

仏教が難解なものとして現代に伝わってしまったのも

 

 

 

その後の方たちが、都合のいいように解釈したり

 

 

 

神理を知識として取り入れてしまったため。

 

 

 

スピリチュアル用語の意味から調べなければ

 

 

 

内容がわからなかったり

 

 

 

サイキック能力に心が奪われたり

 

 

 

スピリチャル専門知識を漂わせた中身の薄いものだったり

 

 

 

魂の話や神理を

 

 

 

多くの方が敬遠してしまうような

 

 

 

受け入れにくいようなものに

 

 

 

なってはいけないな、という気がします。

 

 

 

生活に根付いていなければ意味がないですし

 

 

 

魂の話は、いつの時代もそれほど変わることはありません。

 

 

 

その時代時代の

 

 

 

レベルに合わせたものが降ろされていました。

 

 

 

一番のご先祖供養は

 

 

 

今ある肉体を与えて下さった

 

 

 

今に生命を繋いで下さったご先祖の霊に感謝して

 

 

 

あらゆるものと調和しながら生きること

 

 

 

愛を実践していくこと。

 

 

 

お経をあげることが供養なら

 

 

 

お経を知らない国の人たちはどうなるのでしょう。

 

 

 

お経をあげることがいけないのではなく

 

 

 

お経をあげなくても、私たちや残された家族が

 

 

 

調和された生活を送っていれば

 

 

 

たとえご先祖の霊が闇の中に堕ちていたとしても

 

 

 

それを見て反省材料にして

 

 

 

悟れる環境に浮かんでこられるそうです。

 

 

 

私たちが、闇に落ちてしまった方々を救うことができます。

 

 

 

それが闇の世界を小さくし

 

 

 

愛の世界を広げていくことに繋がります。

 

 

 

こちらの世界とあちらの世界は隣りあわせ

 

 

 

自分が親で、先に亡くなったとして

 

 

 

子孫が供養に時間を割いて、あれこれしなくても

 

 

 

呪ったり、恨んで出てきたりはしませんよね笑

 

 

 

あちらの世界でも

 

 

 

子供の幸せを願わぬ親はいませんし

 

 

 

供養を必要としなくても、自らスーッと上がって行って

 

 

 

子供たちは次のステージの愛の星のために

 

 

 

自分の人生を精一杯幸せに生き抜いて

 

 

 

光の世界を、もっと光の世界へとしていけるように。

 

 

 

常識に捉われず、神理にかなった

 

 

 

本当に必要な物だけを残すという意味でも

 

 

 

ご先祖の供養に関する行事なども

 

 

 

多様化、簡素化していくように思います。

 

 

 

 

 

先祖代々の諸霊よ

 

 

 

私たちに地上での学びの肉体を与えて下さり

 

 

 

心から感謝しております。

 

 

 

諸霊のご冥福を心よりお祈りいたします。

 

 

 

 

今日も愛溢れる一日でありますように

 

 

 

最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。