いつもお読み頂きましてありがとうございます。

 

 

 

大人になった今でも

 

 

 

鮮明に思い出される幼稚園での

 

 

 

ある記憶です。

 

 

 

名前はわかこちゃん

 

 

 

幼稚園の頃の私は、身長が低かったのですが

 

 

 

転入してきた、わかこちゃんは

 

 

 

私よりも身長が低く

 

 

 

背の順の並びでは、私よりもひとつ前でした。

 

 

 

ある時、クラスのみんなで

 

 

 

ホールへ移動するため

 

 

 

廊下に並んだ時に

 

 

 

一人の男の子がクシャミか咳をして

 

 

 

廊下の通路に痰を

 

 

 

勢いよく出してしまいました。

 

 

 

周りの友達はそれを見て

 

 

 

「汚ーい」と言ったり

 

 

 

その男の子から遠ざかる動きをしました。

 

 

 

私は見ているだけで、何もできませんでした。

 

 

 

その時

 

 

 

前に並んでいたわかこちゃんは

 

 

 

すぐさまポケットからティッシュを取り出し

 

 

 

痰をサッとふき取り

 

 

 

自分のポケットへ戻しました。

 

 

 

そして、何事もなかったかのように

 

 

 

また列に並んだのでした。

 

 

 

私は幼稚園児ながら

 

 

 

わかこちゃんを美しいと感じました。

 

 

 

心が美しいんだろうと思いました。

 

 

 

そして、自分が何もできなかったこと

 

 

 

自分とわかこちゃんとの差に

 

 

 

少し落ち込んだ記憶があります。

 

 

 

わかこちゃんは暫くして

 

 

 

また幼稚園を去ってしまったけれど

 

 

 

大人になった今でも

 

 

 

きっと美しい心の女性でいるんだろうなと

 

 

 

愛を広げてくれたわかこちゃんを

 

 

 

時折、思い出します。

 

 

 

数年前に天界の女神が

 

 

 

このようなことを仰っていたことに

 

 

 

何もできなかったことへの

 

 

 

後悔のような思いがなくなりました。

 

 

 

「誰かが愛の行為をしたときに

 

 

 

その姿をみて、感じて

 

 

 

自分も同じように

 

 

 

美しい気持ちになったら

 

 

 

あなたの心も、また美しいということ

 

 

 

その愛を受け取ったその時のあなたも

 

 

 

素晴らしいということです。

 

 

 

だから、その愛を伝播させていきましょう」と。

 

 

 

心が美しいとか、汚いとか

 

 

 

心が広いとか、狭いとか

 

 

 

そういう表現をしたりすると思いますが

 

 

 

人の心は神と同通していますから

 

 

 

本当は太陽と同じ

 

 

 

慈悲と愛だけ。

 

 

 

汚いとか狭いというのは

 

 

 

肉体を纏った目線から

 

 

 

見たり、思ったり

 

 

 

行ってしまったことだから。

 

 

 

どんな人も

 

 

 

天と繋がった本当の心は美しく

 

 

 

太陽が差別偏見なく

 

 

 

全ての人に光を照らすように

 

 

 

私たちの心も

 

 

 

あの太陽と同じ

 

 

 

温かな慈悲と愛の光だけです。

 

 

 

 

今日も愛溢れる一日でありますように

 

 

最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。