私は以前、大谷寺の薬師三尊に呼ばれて、
エネルギーの交流をした。
そしてその交流後、名をもらう体験をした。
ちなみにその時から薬師三尊の存在は身近に感じている。
オーラ視の練習をしている時、鏡越しで
超ぼんやり程度だが、大きな人が右側に座って助けてくれているのが見える。(視点を合わせようとすると消えてしまうのだが)
もらった名はすごくしっくりくるもので、
誰にも言わないで、自分の中で大切にしていた。
ずっとそうしていこうと思っていた。
今年1月、スピ友Aさんから連絡をもらい会うことになった。
Aさんはエネルギー的には私ととても似ている。
久しぶりに会い、共通でお世話になった気功の先生の話で盛り上がった。
話の流れでAさんに「Reiさんがもらった名前はなんなの?」と聞かれた。
私は素直に「〇△□だよ」と答えると、
Aさんは急に立ち止まり、「なぜかその名前を聞いて背筋がゾッとした」と話した。
私は『そうだろうな』と素直に受け入れられた。
もらった名前は魂のグループの名前で、
Aさんは同じグループだと感じていたからだ。
何か魂レベルでハッとするものがあったのだろう。
その日は食事をして終わった。
2月7,8日と夜中にサウンドカレントで起きてしまう。
エネルギー的に何かがあったような気がした。
2月13日、レイキの先生に連絡をとって
名前を共有することを霊的な存在から進められる。
3回ほどしかあったことがない人だ。
しかももうその方は引退されている。
『いやいや、3回ほどしかあったことがない人から
急に連絡来たら、先生も怖がるでしょ』と
私の常識的な部分がそれを拒否していた。
でも、『連絡を取って名前を共有したい』という気持ちは
とても抑えられるものではなかった。
石老山を見つけた時も、日々神社に行った時も、
大山に行きたくなった時も、それをするしかないのだ。
空腹の時におにぎりを見たら食べたくなってしまう、
好きな人にデートに誘われたら喜んで行ってしまう、
それぐらい強制力が強いのだ。
一日悩んで「一度会ってもらえないか」といった内容のメールをした。
返事は『少したってからだったらいいよ』というものだった。
この行動がどういう結果になるのか私にはわからない。
1つだけ言えることは、
常識に従うことを選ぶのか、スピリチュアルな存在とつながることを選ぶのかの問いかけられている気がしてならない。
私は以前職場で枠チンの接種を勧められたが、
スピリチュアルな存在についていくことを決め
枠チンを打たなかった。
そしてそれは最近社会的にも正解であったことが知られつつある。
今回もスピリチュアルな存在と社会的な常識、
どちらを選ぶのかと問われている。
私は『存在してくれてありがとう、愛している』という世界につながっていたい。その道を指示してくれるスピリチュアルな存在と歩むことを選びたいと思ったのです。
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