ことの始まりは去年の5月ごろ、
急にある山(仮にA山とする)に行きたくなった。
頭の中で、「あぁ、行きたい」という声が響く。
A山に関するシンクロが続くものの、なかなか行けないでいた。
Rさんと日程を決めても、娘の発熱でダメになったり、自分の中でもやもやしたりしていた。
そこに、Kさんという新たなメンバーが登場し、物語は急速に展開した
行ってみて実感したことだが、Kさんがいなければ、私たちは絶対、頂上まで行けなかった。
道案内人ともいえるKさんがいたからこそ、行けた山であった。
行ける日は3月20日。
この日だけ、夫が休みで子供を見てもらえる、そして直感的にも、絶対この日であった。
3月20日は春分(21日)の前日であり、満月の前日だった。
当日、私たちは駅から、バスに乗ってA山に向かった
バスに乗っている間に、A山の領域になると、フワッと上に浮くようなエネルギーが来るのがわかる。
通常、乗り物に乗っていると、エネルギーの変化がわかりにくいのだが、それがわかるぐらい大きなエネルギーだった、
バスを降りると、Kさんは「今日は特に、いい日。もう下社の御神気がきている」といった。
確かに軽く、浮くような感じだった。
私たちはその後、入山するのだが、またここでエネルギーの清らかさが増す。
清らかさの密度が濃いが、軽いのだ。そして、地面からはじんわりとした温かい気がきている。
私はずっと、A山は男性のような強く、圧迫する気だと思っていたので、思っていたのと違い驚いた。
強いのに、痛さも圧迫もなく、濃密な清らかさで上に浮く。
ただ、山道は険しかった。私とRさんがヒーヒーいいながら登っていた。
ふと見ると一番年配のKさんが先頭で歩いている。しかも、歩き方が軽い。
多分、実際には小股で足を疲れさせないように歩いていたと思うのだが、
私には、フワッと飛んでいるようなイメージが見えた。
Rさんが「さっきと歩き方が全然違う」と指摘した。
後で聞いた話だが、「白装束の天狗みたいなのを追いかけて歩いていた。
夢中になって追いかけていて、『ちょっと待って』って言われるまで、
天狗を追いかけていることに気が付かなかった」とのこと。
天狗を降ろすって、凄すぎです。
そして、Kさんの変化をいち早く察知したRさんも凄いセンサーだ。
そんな見えない存在たちのサポートも受けながら、私たちは登って行った。
何度も登っているRさんとKさんはしきりに、「今日はすごい楽。サポートが入ってるね」と話していた。
そして上に行けば行くほど、エネルギーは軽くなり、体も軽く感じるようになった。
途中、蝶or蛾のお迎えがあった。この羽のある虫は途中から頂上までついてきてくれて、
なんだか、神様の御もてなしのようだった。
実際頂上を離れると、一緒に下っては来てくれなかったので、お出迎えだったのかなって思う。
私たちは何とか、頂上まで登ることができた。
頂上には3つ神社がある。私が行きたかったのは、一番奥にある神社だった。
なぜか、ネットでその神社の写真を見たら、行きたくてたまらなかったのだ。
私は前日まで、そこの神様に呼ばれて、エネルギーをもらうものだと思っていた。
しかも、それは縄文時代のエネルギーだとばかり思っていた。
もしくは古い記憶のビジョンをみると思っていた。
しかし、実際は全然違った。
その神社の前で目を閉じると、
筒のような大きな穴(神社サイズ)があり、それが、スーッと地中に降りて行っているのが見えた。
ここは想像していたよりも、規模のでかい大切な場所だった。
“人にとって”というよりも、”地場にとって”大切な場所で、
気をここから取り入れているのだと思う。(地球のチャクラみたいなもの)
そういった大切な場所だからこそ、濃密な御神気で守られているのだと思う。
特に、この日は「一番、(穴が)開く日」だった。
だからこそ、山のエネルギーは最大限に高め、地場と、登山の人を清めていたのだとおもう。
清まった人の気は穴に立ち寄ることで、その地場に気を落とし、貢献していたのだろう。
Rさんと、Kさんは「ここに来ると、冷たく感じる」と話した。
気が地球の奥深くに取り込まれていっているなら、人の気も取り込まれてしまうから、冷たくなるのもしょうがないのかなって思う。
でも、その分、人は空になり、下山しながら、穴の周りにある、濃密な御神気を取り入れて帰ることができるのだと思う。
「空にして、愛で 満たす」、そんな言葉が頭をよぎった。
続く