娘が小学生になり、毎日楽しそうに行っている
お友達とも楽しそうにしている姿を見て、
「良かった」と思う反面、今の教育には色々と考えさせられる。
一番思うことは、「なぜ、興味がなくとも、一律に同じことを学ぶのか?」という疑問だ。
今はAIが発展してきている。英語が話せなくたって、ポケトーク等の通訳器がやってくれる。
なのに、長い時間と労力をかけ、英語を勉強させるのが今の教育だ。
漢字の書き方がわからない時は、「学校では辞書を引きなさい」という
Siriに音声で聞けばすぐに答えてくれるのにも関わらずだ。
また、大抵の親は小学校高学年の勉強内容を忘れてしまっている。
日常ではあまり使わないような、どうでもいい内容だから忘れるのに、
子どもにはちゃんとついていけるように一生懸命勉強をせかしている
何故って、クラスの中で学習がある程度できないと、
不適応を起こすからだ。
「ちゃんとクラスについていってほしい」、「集団生活を送ってほしい」という親の願い、
社会の願いが、子どもに勉強を強いているように思う
はっきり言って、今の教育システムに未来や希望が見いだせない。
やる必要がないことを学ばせ、集団行動を強要させるのが、今の教育の実態だ。
そして、その集団行動ができない者たちに何らかのレッテルをはる
そんなシステムを形作っている。
”一律に教育を強いる”ことへの疑問や拒否感がある子は、
学校に行かなくなる。
私は個人的に、『そりゃ行かないよね』と思ってしまう。
楽しくないもの。お友達と会えるのはいいけど、苦痛な時間が多すぎるもの。
もっと自分の学びたいことを、主体的に学べる、そんな場所が学校であればいいのに。
自分で学ぶことが選択できないなんて、子どもの意欲を剥ぐようなものだよ
子どもは、自分の興味のあることは驚くほど吸収するし、生き生きする。
この間、近所の子が私に、ダンコ虫とワラジ虫の違いを詳しく教えてくれた。
私はワラジ虫もダンゴ虫だと思っていた人だから、その知識に驚いた。
何も、大人が子どもに教える立場である必要はない。
わからないことは、一緒に調べればいい。
ネット検索すれば驚くほど、色々な答えが返ってくる時代だ。
先生も、子どもも、一緒になって、「へぇー、わらじ虫って、丸くならないんだね」とか
そういう感動を共有できればいいと思う。
そんな自ら調べ発見する喜びと感動を共有する場が
教育になってほしいと、 私は心から思う