モネ展@大阪中之島美術館

 

モネ展観てきました。

モネ好きですか?って聞きたくなるくらい、混んでました。

私も印象派の陽光、自然の風景は日本の光より明るく美しいですから、憧れます。

 

モネは初めから画家を目指して勉強したのでなく、元々絵が上手く人物のカリカチュア似顔絵を売っていたんだそうです。

18歳で風景画家ブーダンと知り合い、戸外での油絵制作を教えられました。生まれ故郷のル・アーヴルから1859年にパリに出て絵の勉強を始め、ピサロ、シスレー、バジール、ルノワールといった後の印象派の人たちと知り合いました。父親は反対したそうですが、カリカチュアを売って稼いだお金でパリに出て絵の勉強を始めた努力家です。

とんとん拍子にサロン・ド・パリ(サロン)に初入選したのですが、1869年と1870年のサロンに続けて落選の憂き目に遭い、はじめの試練が始まります。

私生活では、カミーユ・ドンシューとの交際を始め、長男も生まれたが、父親からは援助が断たれ、経済的に苦しい時代が始まります。

1870年、普仏戦争が始まり、兵役を避けてロンドンへ。

ここで画商デュラン=リュエルと知り合い、支援を得ることになります。

パリに戻ると、その近郊アルジャントゥイユにアトリエを構え、セーヌ川の風景などを描いた。

1874年、サロンとは独立した展覧会を開催して『印象・日の出』などを出展し、これはのちに第1回印象派展と呼ばれる歴史的な出来事となった。しかし、当時の社会からの評価は最悪でした。

モネは3回まで印象派展に参加してます。

そして、セーヌ川沿いのヴェトゥイユに住み、パトロンだったエルネスト・オシュデとその妻アリス・オシュデの家族との不思議な同居生活が始ります。

妻カミーユを1879年に亡くし、アリスが支えになっていきます。

1880年代は生活が安定してあちこちに制作旅行に出かけ、この頃から連作に取り組み、終の住処となった選んだジルヴェニーの庭に睡蓮の池を作り始めています。モネの有名な連作とは「積み藁」「ルーアン大聖堂」「ポプラ並木」で、今回もちろん展示されています。

最後の展示室は睡蓮が主でほとんど写真撮影できます。(一部不可あり)

 

 

 

 

連作といえば有名な「積み藁」は私の大好きなカンディンスキーが抽象画に進むきっかけとなった作品。

何が描かれているかよくわからない、正直に言うとぼやけててよくよく見ないとわからない作品もあります。

光が溢れすぎると眩しくよく見えないことありますよね。

積み藁を見るとカンディンスキーがどう見たのか気になってしまいます。

 

私が見て欲しいのはロンドンの連作です。

ロンドンテムズ川周辺の「ウォータールー橋」と「チャリング・クロス橋」と「国会議事堂」

「霧のロンドン」を描いています。

時間によって全く違う色彩に溢れています。太陽光の具合によって変わる色。色は光だというのがよくわかります。

 

今回の展覧会で写真が撮れるのは「ウォータールー橋」ロンドンで描かれた連作で最多の41点。のわりに3点しか展示はないは残念です。

徹底的にモネが描いた作品を私たちも徹底して比べて観たいですよね。

テムズ川のヴィクトリア河岸のサヴォイ・ホテルから見た風景なのです。言わずとしれた高級ホテル。

ホテルのすぐ下にウォータールー橋が見えるそう。

 

撮影したのは下記3点

「ウォータールー橋、曇り」1900年

「ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ」1904年

「ウォータールー橋、ロンドン、日没」1904年

 

曇りは朝日が昇る前の時間。もうすぐ朝日が昇るのでしょうか?暗い空が少しピンクやイエローの光が見えて来始めています。リアルな風景はまだ暗いのは川の水の黒っぽさでわかります。

残り2点は夕方黄昏時ですね。夕暮れと日没は少し時間が違いますね。夕暮れは全体がグリーン。日没は夕方の少し紅い太陽が暮れていくのが橋と水に写っているように見えます。

後ろには工場の煙突があり、煙が上がっていてロンドンの街は夜明けから動いていることもわかります。

モネが見ていたウォータールー橋は第二次対戦後に架け替えられる前のもの。

写真は撮れなかったですが、同じテムズ川チャリング・クロス橋も素晴らしい色彩です。

連作が売りの展覧会ならもう少し点数は欲しかったところですが、ロンドンのテムズ川を再訪したくなりました。

宣伝そのままいい点は、モネ展とタイトルに偽りなくモネの作品だけの展示。

 

5月6日まで大阪中之島美術館で開催しています。

平日でも大阪の展覧会にしては混雑しています。

ミュージアムショップは時間に余裕を持って行く方がいいでしょう。

 

https://nakka-art.jp/exhibition-post/monet-2023/