一生ものの服はない

それは私の中でも確信した

 

ただそれぐらい惚れ込んで手に入れる

服があるとすれば理想だなと思う

 

気に入って着ていれば生地も痛む

体型も変わるし

好みも役割も変わっていく

だから服も入れ替えていけばいいのだ

 

私がずっと服が欲しいような気がしていたのは

とある理由があったとこの記事で発見した

 

「変わりたい自分がいる」

 

「服が欲しくなる」のは服が好きだからではないと気がついた(後編)。【エディター昼田祥子さん】

それは「変化したい」という気持ちがあるから。

同じことをし続けている、

現状維持な自分に飽きているんです。

「変わりたい」も結局、

内側にあるものが表に出たがっているからこそ。

でも人は新しい服を身につけることで

「変化した自分を味わおう」としてしまいます。

だって新しい一歩を踏み出すよりも、

洋服を買うってすごく簡単なんですよ。

 

私は昼田さんの記事が好きなのだが

彼女の記事を読むたびにクローゼットを

開けて現在地を確認したくなる

 

そしてつくづく思う

服を変えることができても

自分を変えることはできない

だからこそ

自分についての言語化は

人生を変えていく上で大切だなと思うのだ

 

B42 収穫

自己理解が進むほどに

自分への明晰さが増すほどに

人生はもっと楽しくなる

おしゃれだって服選びだって同じこと

 

 

 

最近失敗した服の話を書こう

 

クローゼットに戦略を持ち込んだことにより

必要なオケージョンの服は揃っている

・雨の日に着る服

・娘の学校行事に着ていく服

・お出かけの時に着たい服

・日常過ごす私らしい服

 

つまり新たに追加する必要性のある服はなく

選手交代する必要性も特にはなかった

 

ただ憧れで買った服があり

それは所有してみたら急に色褪せて見えて

フリマサイトでお譲りした

 

憧れの服とは

カシミヤの国産高級コート 

お値段30万円

ベーシックなトレンチ型で

漆黒の軽くて美しいシルエットだった

 

限定販売だったこともあり

予約してわざわざ手に入れた一品だった

 

ただ届いて手にとって色々な感情が湧いた

あんまりワクワクしなかったのだ

微妙に着丈が短い・・・気がする

ただそれだけのことだったのだが

その違和感を無視して30万のコートを所持するのは

心がざわついた

 

人気未使用品だったのでフリマサイトでも

売ることができたのだが、

手数料を差し引けば私の勉強代は4万円になった

 

ただ後悔はしていない

手に入れないとわからないこともあり

羽織ってみないとわからなくて

手に入れることで自分の価値観が明確になった

 

私にとって高いからいいというわけではなく

自分の好きの基準を満たした服が好きなのだ

 

もちろん同じクオリティーのものを探すのは

困難だと思う

 

それでも黒というアイテムで手持ちのコートと

比べてみたけれど正直大差はなかった・・

 

ホテルで服を預けることがあって、ホテルマンは

わかるのかもしれないがそのために必要な

金額ではないと判断した

 

黒で勉強した

比べたらわかる黒だけれど

それは料理で言えば岩塩か精製塩かぐらいの差

大事だけれど大差はない

しかしこの差が世の中の付加価値であり

個人の好き嫌いの差でもあり

選択における差だと思う

(つまり絶対的な正解はない)

 

私が黒に求めたのは

・汚れが目立たないという点

コートに求めたのは

・美しいシルエット

・軽いこと

 

その二点だったので限定品の高級コートは

手放すに至ったというわけだ

 

ちなみに余談だけれど

その10分の1ぐらいの価格で

私の基準をクリアするコートが見つかり

私の所有欲求は十分満たされている

 

B14 新しい時代の叡智
目的がクリアーになることで開く内なる智恵の輝き
そもそもの自己価値を見直せば自ずと
オーラが増してくるはずなのだ

 

 

自分の人生で服に投資した総額と

失敗の経験を振り返るのは

自分の愚かさを晒す勇気が必要になる

 

今振り返って必要なかったと思う服の総額を

なんとなく計算してみたら

軽くバーキンは買えるのではないかと思う

 

センスがあるというのは=自分の軸がある

という解釈を今私自身はしている

 

ただ肝心のセンスが自分にない頃は

雑誌で見た憧れとそれに値段というバイアスも

絡まっていよいよ成功率が下がってくる

 

憧れたコーデがあれば

それをマネキン買いすればいいのに

似たアイテムを別で安く探そうとするから

うまくいかなくなる

(時間もお金も結果的に無駄になりがち)

 

そんな経験を踏まえて今の私が在るわけだけど

それでも失敗するのはなぜだろう?

 

理由はただ一つ

・なぜ欲しいかが明確でないということ

 

あ、いいな〜という気持ちだけで

買えたらいいのだろうけれど

服は大体一枚では完結せず、他のアイテムとの

連携を要するものになる

 

その直感で欲しい服が活きるような手持ち服があるか

今あるアイテムがさらに活きる服を買うのか

その二択になる

つまり服をお迎えするにあたっての理由が

言語化ができている状態だと思う

 

センスのある人は

大抵のアイテムが組み合わせられる

新しく購入したものと手持ち服との

組み合わせにも一貫性がある

なりたい自分のイメージが明確だからだと思う

 

自分も好きを追求するようになり

好きなアイテムとシルエット

それから色と素材がわかってからは

「毎回同じでもいい」という目から鱗のような

視点で服選びが着地することになる

 

「なんでも着こなす」のではなく

「好きなものを着る」でいいということ

 

クローゼットにも戦略を

それはなりたい自分を言語化する・見える化

するという工程を省いてはいけないのだと思う

 

B105 大天使アズラエル

人間として生まれてきたわたしたちには

「身体」と呼ばれる魂の入れ物(器)が

ひとりひとりに与えられています

それは、spirit(魂)を表現するためのひとつの手段であり

方法なのです

それを手にしているあなたは、それを今生で

どのように表現していきたいと思いますか?

 

 

 

 

 

私がついやってしまうことの一つに

服のオンラインショップをサーチすることがある

 

ちなみにZOZOTAWNは検索性に優れていて

こだわりのサイズをかなり詳細に絞り込めるので

シルエットにこだわっている自分には

有難いサイトなのでまずはここから始める

 

それからZOZOに入っていないお気に入りの

ブランドのオンラインサイトを見回って・・

ZARAやUNIQLOの新作を眺める

 

そんな具合で時間は延々と費やすことができる

(ハイブランドのサイトも見るのも好きだが

買えない現状を踏まえて今は見ていない)

 

で、実際のところほとんど買わない

買うときは店舗に足を運んで試着したい

 

本当に好きな服だけで生きるミニマリストに

憧れているのに

買いたいと思える服をピックアップするためだけに

日々生まれてくる新しい服を見るのをやめられないのだ

 

ー最初からお店で見ればいいとか

ー買わないなら見なければいいとか

頭の中でも当然いろんな声が駆け巡るわけだけれど

暇が見つかれば服を検索したくなる

 

「どうしてだろう?」

自分には問いかけていて、明確な答えがなかったけれど

その時は「自信ある自分でいたい」という欲求が

ベースにあったことは認識していた

 

ーー出かけるときに、堂々としていたい

ーーお店に入るときにも気後れしたくない

ーー素敵な自分でいたい(自分比で)

 

適当な服で出かけたくない

その気持ちが強い方だと思うし

どんな服が好きかということも

自分では言語化できているレベル

 

ただ現状としては

まだクローゼットの中に納得していない

 

恐らく足りないものはないのに

要らないものが削ぎ落とせていないからだと思う

 

まだ「もったいない」とか

「こういう服も着られる自分でいたい」とか

過去と変身願望を捨てきれていないようだ

 

服は手っ取り早く自分を変えることができるアイテム

だからアイテムを見て回ること=どんな自分になりたいか

その感覚を味わいたいのだと思う

ーこんな服着たらどんな感じかな

ーこのオケージョンだったらこの服欲しいかも

と永遠に妄想できる

 

で、ふと現実に戻る

 

私の場合理想のクローゼットのためには

服に目的と役割を持たせることが必要なのだ

 

「オケージョン」が根底にあり

その上に「シルエット」「デザイン」「機能性」

つまりどんなに気に入った服でも

「オケージョン=着ていく先のイメージ」が明確に

湧かなければ私にとっては不要なのだ

 

現在ほとんどを家で過ごす自分には

自分を最高に見せる服を何パターンも所有する必要がない

 

こうして記事を書いている中でも

自分の行動が言語化されていくわけで

私の服選びの基準はますます厳しくなった気がする(笑)

 

オーラソーマ ボトルB44 守護天使

自分を信頼すること、自分らしく生きることに心を開くこと

そしてくつろぐことから、あなたのエネルギーが

自由に流れ出すことを思い出して欲しいと願っています

 

自分が楽しいこと

心地よいこと

それを中心に選んだらいいと

教えてくれるボトル

 

似合うということや

役割に縛られないで

服を選ぶとしたらどんな服を選ぶ??

誰もが発信できる時代と言われているけれど

あの人に見られたくない 

そんな不安がよぎることがあると思う

 

それとも誰かに攻撃されたくないと

他者の視線を気にすることもある

 

この世界に対して自分が正直に発言したい

と思っているのに 

それができない・抑圧しているということは

相当に苦しいことだ

 

オーラソーマボトルB38 吟遊詩人

私の中には真実がある

事実はどんな視点からでもみることができるけれど

誰のものが正解ということもない

大切なのは自分にとっての真実

あなたが感じたことが全て

 

 

私自身しばらく書けない状況が続いたけれど

この本を読んで思い出した

 

誰かのために書いているわけでもなく

誰かのために遠慮するわけでもない

 

 

読み手を喜ばせる必要ものない。

自分がどれだけその言葉、その物語に実感が持てるかが大事なのです。

 

実感の持てる言葉で物語れたとき、書き手は自分の存在を確かに感じることができると思います。

そしてそういう言葉は読み手の何かに触れる。

読み手も相手の大切な部分にふれた感覚を持ちます。なぜかわからないけれど

読み終わった後に感覚がかわっている。

モノの見方が変わっていえる。

今までは特に気にしなかったものが妙に気になってくる。

そんな風に無意識に自分にかかっていた制御を解除しうるのが文学の言葉の力です

 

 

他人の目を考えずに

自分の無意識にまで潜って言葉を発するには勇気がいります。

簡単には言葉にならないこともあるでしょう。

けれど根気強くそれらを言語化してみることは

自分が自分を認めることの第一歩だと思います。