「考える」って何だ | 不登校・ひきこもり 京都・亀岡 認定フリースクール アウラ学びの森 知誠館

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みなさんが探しておられる、不登校やひきこもりの解決につながるヒントが見つかるかも…。

最近、「考える」って何だろうか、と考えることがあります。



「『考える』って何だろうか、と考えることがあります。」



と言っているということは、「考えている」ということで、この頭の動きを「考える」と呼ぶんでしょうが、しかし「考える」って何だろうか...と考えています。



しまいには、「考える、かんがえる、、、」と頭の中で唱えすぎて缶で出来たカエル...?とか、そういうしょうもないダジャレを考えだしたり。



ホラ出た、「考える」!





「考えてほしい」と、我々大人は子どもたちに対してよく思います。



でも、私たちの思う「考える」って何?



私たちが、いや私が子どもたちに「考えてほしいこと」って何? と。




「考えてほしい」って言うけど、私が「考えてほしい」ことを「考えて」くれていて初めて、「あ、考えてる」と思っちゃうところもあるんだろうな、とか。




昔ある番組の中で、日本とアフリカの違いについて触れる中で、最終的に「日本は四季があって素晴らしい」という答えが出ることを期待した授業の様子を見たんですね。



そうすると、ある男の子が「アフリカに四季はないけど、それもその地域の個性だから素晴らしいと思う」と言ったんですね。



そうしたら、その授業をしていた先生がその男の子の発言をどう回収したらいいのか分からなくて、「そうだね、でもやっぱり日本の四季は素晴らしいよね?」といった返しをしたんです。



それを見て、これはいやだぞ、と思ったんです。でもそれと同時に、これ、私もしてるぞ、と思いました。



身に覚えがありまくりだったのです。これをやってしまった時の焦りやそれによる冷や汗、動揺はひどいです。



あちゃー、やっちゃった、という後悔がさらに冷や汗に拍車をかける。でも時間内にここまで到達しなくては...!ということからもさらに焦ってきて、また冷や汗。





発言するって、勇気のいることですよね。子どもが「考えて」出した言葉は、受けとめたい。



でも、受けとめるには、受けとめられるような普段の関係性とか、普段の教える側の教養や度量の深さや、入念な準備といったものが必要なわけで。



うーん、難しい。一朝一夕にできないことだと分かっていながらも、だからこそそこが遠くてもどかしい。





...あれ、「考える」って何だという謎から始まったのが謎の地点に着地しました。



でもこの軌跡も「考える」なのかなぁ、と、また堂々巡り...



面倒くさがりなので、すぐ「考える」ことを放棄したくなっちゃうんですよね。でも、ここにいるとそれじゃだめだなーと思う。



とりあえず、ご覧のとおり頭でっかちな今の自分を残しておこうと思い、ブログにしたためてみました。





さ、お昼ごはん食べよっと。