毎日知誠館で不登校の生徒たちと向き合っていると、ふと思い出すことがあります。
それは、私が初めて不登校の子どもと出会ったときのエピソードです。
私が学校へ行かない不登校の子どもと初めて会ったのは、今から11年前のことでした。
ほとんど学校へ通った経験のない、ある中3の男の子がお母さんに連れられてやってきたことがそのきっかけでした。
彼は今、大学院の博士課程で、不登校やひきこもる若者たちのことを研究しています。
私は大学を卒業した1984年からずっと、思春期の子どもたちの教育に携わってきました。
早いもので、もう30年を越えました。
そんな経験の中で不登校の子どもたちとの出会いは、私にとってとても刺激的でした。
不登校の子どもたちの抱える状況はとても多様です。
─いじめられた経験をもつ者
─先生とトラぶった経験をもつ者
─友達との関係がうまく作れなかった者
─理由さえもよくわからない者・・・
でもそんな彼らに共通することは
みんな大きな挫折経験を持っている
ということです。
不登校の出発点は、すべて挫折からなのです。
そこから彼らは、まるで生まれ変わったかのように変化を遂げるのです。
教育の世界には、入り口と出口があります。
そしてその差が、まさに教育の可能性を示しているのです。
生まれ変わるかのような変化は、そこに介入してきた教育の質をそのまま示すことになるのです。
「不登校の教育がおもしろい!」
そう私が感じてきたのは、この知誠館で出会った子どもたちの変化が余りにも大きなものであったからの他ならないのです。
「学んだことの証しは、ただ一つで、何かがかわることである」
そう教えてくれたのは、かつての宮城教育大学の学長だった林竹二先生でした。
哲学者でもあった林先生は、大学を退官されたのち、多くの挫折経験を持った若者たちの教育に大きな可能性を見出してこられたのです。
「学ぶことは、変わること」
不登校の子どもたちの教育現場は、まさにその現実を私に伝えてくれたのかもしれません。
今日もまた、辛い過去を背負った新しい新入生がやってきました。
彼の表情に笑顔が戻り、未来に対して希望を抱くようになるのにどれほどの時間が必要なのか・・・?
私は初回面談を終えながら、そんなことを考えていました。
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