運が良い、悪い、と言い方をする。しかし、運が良いか悪いか、というのはかなり受動的だ。これを能動的に変えることができれば、運が良くなるのではないか、と考える人がこれまでも数多くいた。実際にそういった書籍も数多く出版されている。

 

 

運が良くなる方法を単に神頼みとする人もいるし神頼みの方法論を語る人もいれば、自分で運を引き寄せるために考え方を変えることを主張する人もいるし、行動を変えることを勧める人もいる。いったい何が正解なのかを科学的?に紐解く人もいる。

様々なことが主張されているが、実際に何が役に立つのだろうか。

 

 

運(うん)とは、その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせを指し示す言葉だ。意志や努力ではどうしようもないということは、なにもできないと考えても差し支えないが、成功者といわれる人の多くは「自分は運が良い」と言い、さらにこういった人たちにはある共通点があるとも言われている。意志や努力ではどうしようもないけれど、そのチャンスを増やすことはできるということだ。

 

 

運をつかむために必要な要素はシンプルに3つだ。

1, 運が巡ってくる環境を自分の周りにつくる

2, 運に気づく

3, 運を利用できる

 

 

この3つがそろっていれば、誰でも運をつかみ取ることができる。

まずは、運が自分に十分な量だけ巡ってくる環境を作ることだ。宝くじも買わないと当たらないように、運も機会を作る必要がある。「運が良い」というのは、成功をつかんだ際のきっかけであると考えると、その成功につながるための道筋をより多く自分の周りに作っておくことともいえる。

 

 

成功の多くは、自分の持っているネットワークによって起こる。つまり運を良くするためには、より多くの「つながり」を持っておくことが重要だ。それも多様な「つながり」であることがより効果的だ。人は自分の「つながり」によって、様々な運がやってくる。自分のことをより多くの人が知ることによって、いろいろな頼まれごともやってくる。つまり、ネットワークの広い頼まれやすい人ほど運が巡ってくるということになる。

 

 

次に、運に気づくことだ。運は、実はいくらでも自分の周りにある。しかし、多くの人はそれに気づかないと言われている。なぜ気づかないのかと言えば、それは自分の脳が無関係と処理してしまうからだ。運をつかむ時にこれほど厄介なことはない。人は視界に入った情報のほとんどを切り捨ててしまう。それは処理しきれないからだという。ところが、運が良いひとは、多くの人が気付かなかったことに気づけている。これは事例を出せば枚挙にいとまがない。

 

 

この気付くための方法はいろいろあるが、一番は、物事を抽象的に、俯瞰的に、そしてつながりを意識して見るということだ。3Mのポストイットなどは、接着剤としての失敗作を俯瞰的に、つながりを意識した結果、メモとして活用することにしたし、コカ・コーラも最初薬用で売れなかったものを抽象的につながりを意識して、清涼飲料として売り出して大成功している。

 

 

こういったことがいくらでも起こっているのだから、誰でも運はつかめる。しかし、最後のポイントである利用するというところまでいかないと意味がない。これは、思っているだけで行動しないとだめだよね、ということだ。実はこの最後の実行に移すという行為が、多くの人が最後に運をつかみ取れない最大の障壁だ。

 

 

有名な「谷底の神父」の寓話がある。

 

ある谷底に教会があった。

その教会の神父は、何十年もその地域のために祈りを捧げていた。

 

あるとき、何百年に1度という大洪水が起こった。

村人が教会にやってきて、

「神父さん!早く逃げましょう。

山の方に行けば助かります。」と言った。

 

しかし神父は

「大丈夫です。私は神様を信じていますから、

必ず神が助けてくれます。」

と言って谷底の教会に残り、祈りを続けた。

 

ところが、洪水の水は一向に引かず、ついに教会の敷地内にまで入ってきた。

すると、ボートに乗った村人が教会にやってきて、

「神父さん、危ないです。

このボートに乗って逃げましょう。」

と助けにきてくれた。

 

それでも神父は、

「いや、大丈夫です。

必ず神様が助けてくれますから、

心配しないでください。」

と言って、屋根の上で祈りを捧げていた。

 

いよいよ、水が屋根にまで上がってきた。

神父は屋根の先端の十字架の上まで昇って、祈りを続けた。

 

今度は、村人がヘリコプターに乗って、神父を助けにきた。

縄ばしごをたらして神父に

「神父さん、死んでしまうから、

はしごにつかまってください!

本当に助けたいんです!」

と懇願した。

 

しかし、神父は

「大丈夫です。

今はこういう状況ですが、

必ず神様が助けてくれます。」

と言って村人の助けを断った。

 

結局、神父は死んでしまった。

 

天国に上った神父は、そこで神に質問をした。

「わたしはずっとお祈りしてきたのに、

どうして助けてくれなかったのですか?」

すると、神はこう答えた。

「わたしは、3回も助けを出してやったぞ」と。

 

目の前のチャンスも行動が伴わなければすべて無駄となってしまう。

結局そこにつきる。