渋沢栄一が「論語と算盤」という本を著している。商売をしている以上、儲けることが目的となっていくことで、それが倫理的に問題視されるようになることがあるということだが、明治維新のころでは、当たり前に今の倫理観とは違った価値観で商売がなされていただろうから、だます騙されるは至極当然にあったのかもしれない。

 

 

現代では、法律があるので、取引内容に虚偽があるなどは罰せられる対象となってくるので、そこに手を出すのは、せこく小さく儲けようという個人のレベルではあるが、組織だって行われることはまれだ。詐欺グループがたまにつかまってニュースになるが、これはもはや犯罪行為であるので、社会から強く罰せられる。しかし、こういった規制、法律があるから倫理的に間違っていることはやらないというスタンスは、商売としては当然望ましくない形だ。

 

 

そもそも商売とは、モノやサービスを顧客に提供することで売り上げを作る行為で、そこから経費を差し引いて利益を残していくというものだ。モノやサービスを顧客が買うということは、そこに信用があるからこそ行われるものだ。一回で良いというのであれば、どんな形でも売ってしまえばよいということになるが、一過性のものではなく、継続して顧客に買ってもらうということを考えれば、当然評判を悪くするわけにはいかない。また、一回の購入であっても、現代のようにSNSが発達して、口コミを幅広く伝えることができるようになった社会では、自然と良い評判の店が残るようにできてきている。だかこそ、商売をする上では、倫理観が重要だ。

 

 

儲かればよい、というスタンスでは、早晩先が見えてしまう。儲かるのは、より多く顧客ができた結果のことであって、まずは顧客が喜ぶもの、サービスをいかに提供するのかという点に絞って思考しなければならない。顧客が喜ぶということは、それだけニーズを満たしていることということであって、虚偽の情報によって顧客を惑わすということではない。顧客の抱える課題を解決できることが、まずは重要で、そこさえ考えていれば、基本的には倫理にもとるということはない。

 

 

自分がいかに儲けるかという発想から脱却することこそが、商売をする上で大事なポイントとなる。とはいえ儲けないとだめでしょ、という言い方をする人は、短絡的に、楽して儲かりたいと思っている人だろう。楽をするということは、仕組みを作るということであって、考えなしにお金を顧客から奪うことではない。倫理観というのは、最終的には評判につながる。評判をよくするのであれば、まずは顧客ニーズを満たすということにフォーカスしよう。