ヨハネによる福音

 〔そのとき、〕11・45マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。46しかし、中には、ファリサイ派の人々のもとへ行き、イエスのなさったことを告げる者もいた。47そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。48このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」49彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。「あなたがたは何も分かっていない。50一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」51これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。52国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである。53この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。

 54それで、イエスはもはや公然とユダヤ人たちの間を歩くことはなく、そこを去り、荒れ野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちとそこに滞在された。

 55さて、ユダヤ人の過越祭が近づいた。多くの人が身を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムへ上った。56彼らはイエスを捜し、神殿の境内で互いに言った。「どう思うか。あの人はこの祭りには来ないのだろうか。」

 

 カイヤファは、イエスが民衆の間でメシア(救世主)として担ぎ上げられると、ローマ軍がそれをローマ統治に対する反乱の兆しと見なし、攻撃するのではないかと恐れました。ローマ軍の介入により、神殿は破壊されれば、カイヤファをはじめとしたユダヤ教指導者たちの権力も失われます。それを防ぐためにイエスは殺されなければならないというのです。

 ところが、その年の大祭司カイヤファは自分でも気づかぬうちに、「イエスが全人類の罪を身代わりに背負って死ぬ」ことを預言していたのです。

 復活のイエスに出会い、イエスをメシアだと信じるまでは、イエスが果たしてどなたなのかは謎のままです。

 

祈り

神よ、わたしたちはあなたが、

わたしたちの先祖と結ばれた契約の子です。

「地上のすべての民は、あなたから生まれる者によって祝福を受ける」と、

あなたはアブラハムに言われました。

わたしたちのために、あなたはご自分のしもべイエスを立てられ、

その祝福にあずからせるために、わたしたちのもとに、

遣わしてくださったのです。

──使徒3:25-26による

ヨハネによる福音

 〔そのとき、〕10・31ユダヤ人たちは、イエスを石で打ち殺そうとして、また石を取り上げた。32すると、イエスは言われた。「わたしは、父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。その中のどの業のために、石で打ち殺そうとするのか。」33ユダヤ人たちは答えた。「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒涜したからだ。あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ。」34そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。35神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。36それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。37もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。38しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」39そこで、ユダヤ人たちはまたイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手を逃れて、去って行かれた。

 40イエスは、再びヨルダンの向こう側、ヨハネが最初に洗礼を授けていた所に行って、そこに滞在された。41多くの人がイエスのもとに来て言った。「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことは、すべて本当だった。」42そこでは、多くの人がイエスを信じた。

 

 「イエスを石で打ち殺そう」とするユダヤ人に対してイエスは「わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」と語ります。

 イエスを神の冒涜者と断定するユダヤ人には、イエスの業も悪霊の業としか見えなかったのです。イエスがヨルダン側の向こう岸に避難すると、多くの人がイエスのもとに来てイエスを信じました。

 ナウエンは「イエスは神の愛を目に見えるようにし、わたしたちに与えるために、わたしたちのもとに来られたのです。」と言います。

 イエスが神の業を行っていることを認めることができない「目があっても見えず、耳があっても聞こえない」人ではなく、イエスを信じる者とさせてください。

 

いのり

主なるイエス・キリスト、

あなたはわたしたちのため苦しみを受け、

その足跡に続くようにと模範を残されました。

あなたは罪を犯したことがなく、その口には偽りがありませんでした。

あなたはののしられてもののしり返さず、

苦しまれても人を脅さず、

正しくお裁きになる方にお任せになりました。

あなたは十字架にかかってみずからその身にわたしたちの罪を

担ってくださいました。

わたしたちが、罪に死んで、義によって生きるようになるためです。

あなたがお受けになった傷によって、わたしたちは癒やされました。

──1ペトロ2:21-24による

 

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕8・51「はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」52ユダヤ人たちは言った。「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした。アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。ところが、あなたは、『わたしの言葉を守るなら、その人は決して死を味わうことがない』と言う。53わたしたちの父アブラハムよりも、あなたは偉大なのか。彼は死んだではないか。預言者たちも死んだ。いったい、あなたは自分を何者だと思っているのか。」54イエスはお答えになった。「わたしが自分自身のために栄光を求めようとしているのであれば、わたしの栄光はむなしい。わたしに栄光を与えてくださるのはわたしの父であって、あなたたちはこの方について、『我々の神だ』と言っている。55あなたたちはその方を知らないが、わたしは知っている。わたしがその方を知らないと言えば、あなたたちと同じくわたしも偽り者になる。しかし、わたしはその方を知っており、その言葉を守っている。56あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。」57ユダヤ人たちが、「あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」と言うと、58イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」59すると、ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、神殿の境内から出て行かれた。

 

 ヨハネ福音書8章は姦通の現場で捉えられた女性をめぐるイエスと律法学者、ファリサイ派の人びととの話から始まりました。

 この女性を解放した後に、イエスがファリサイ派の人びとに「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」と語ったことから、彼らとイエスの論争が始まります。

 その議論は次第に激しくなりますが、「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」とイエスが言ったとき、「多くの人々がイエスを信じ」ました。

 ご自分を信じたユダヤ人たちに、イエスが「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」と言ったことから、また、論争が起こりました。本日の福音はその論争の部分です。

 この論争から、ユダヤ人たちが本当はイエスを信じていないことが明らかになります。

 イエスが「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」と言うと、「ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとし」したからです。

 「わたしはある」とは、出エジプト記でモーセが神の名を訊いたとき、「わたしは、『わたしはある』という者である」と神が語ったときの言葉であり、その言葉を聞いたとき、ユダヤ人たちは、イエスがご自分を「唯一の神」と同一視し、神を冒涜したと思ったのです。

 復活のイエスに出会わない限り、イエスの言葉は謎のままです。

 

祈り

神よ、信仰がなければあなたを信じることはできません。

あなたに近づく者は、あなたが存在しておられること、

また、あなたはご自分を求めるものたちに報いてくださる方であることを、

信じていなければならないからです。

──ヘブライ11:6による