マタイによる福音
〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。〕21・33「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。34さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。35だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。36また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。37そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。38農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』39そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。40さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」41彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」42イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』43だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」
45祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、46イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。

 イエスのたとえは、言葉の武器だと読んだことがあります。イエスのたとえを聞いた祭司長たちやファリサイ派の人々は、すぐにイエスのたとえは自分たちのことを指していると気づきイエスを捕まえようとします。

 「捨てられた石が礎となる」という言葉で、NHKの「こころの時代」の番組を思い出しました。京都市北部岩倉の「いわくら病院」で精神疾患に苦しむ人たちと向き合ってきた医師崔秀賢さんのドキュメンタリーです。
 崔さんが医師としてこの病院に勤めたときは、閉鎖病棟があり、看護士と患者の間に信頼がなく、お互いに不信感を持っていたとのことです。
 崔さんは閉鎖病棟をなくすために四十年あまり努力し続けました。
 いま、この病院には閉鎖病棟がなく、患者は自由に外に行くことができます。地域の人々も患者さんを受け入れています。
 家を建てる者の捨てた石とは、精神疾患に苦しむ患者たちや、自分のような朝鮮人、ハンセン病の患者たちのことだと崔さんは思ったそうです。
 

ルカによる福音
 〔そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。〕16・19「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。20この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、21その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。22やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。23そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。24そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』25しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。26そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』27金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。28わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』29しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』30金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』31アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」

 ファリサイ派の人々はラザロのような人をどのように見ていたのでしょうか。イエスはラザロのたとえで何を言おうとするのでしょうか。
 ファリサイ派の人たちは、金持ちは神の恵みに満たされていることの表れだと思っていたようです。イエスは彼らの考えを覆すために、金持ちとラザロのたとえを話したのでしょう。
 人間のいのちは長くても100年ぐらいです。100回クリスマスを迎えれる人は少ないです。また、年を取れば取るほどできなくなることも多いです。
 ホスピス医の柏木哲夫先生は、一代で会社を立ち上げ金持ちになった社長さんが、ガンにかかった時、金はいくらでも出すから治せ、治せない医者はヤブだと病院で大騒ぎをしたことを書いています。
 死んだらどうなるのかは分かりませんが、その時頼りになるのは金ではなく、わたしたちに命を授けてくださった神だと思います。

ヨハネによる福音
 〔そのとき、イエスはユダヤ人たちにお答えになった。〕5・17「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」18このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。
 19そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。20父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。21すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。22また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。23すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。24はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。25はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。26父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。27また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。28驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、29善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。
 30わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」

 イエスが安息日に足の不自由な人の癒やしを行ったことをユダヤ人たちが咎めたことにイエスが反論する場面です。
 安息日に仕事をしてはならないという掟は、いかなる時も遵守しなければならないものではなかったようです。
安息日論争でイエスは、「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。」と言っています。
 19節、24節、25節の冒頭で「はっきり」と訳されているのは、「アーメン、アーメン」という言葉です。
 イエスがご自分のメッセージを「アーメン、アーメン…」で始めるとき、イエスが父である神に身を委ねているように、聞き手にイエスを全面的に受け入れるよう求めます。
 「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」というイエスの言葉を信じ、イエスにすべてを委ねることができますように。