マルコによる福音
 16・9イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。10マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。11しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。
 12その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。13この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。
 14その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。15それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」

 マルコ福音書も、復活のイエスが顕現したのはマグダラのマリアだったと述べます。マグダラのマリアが、イエスの死を悲しんでいる人々にイエスが生きておられることを伝えても、彼らは信じませんでした。
 イエスは十一人が食事をしているところに現れ、彼らの不信仰とかたくなな心をおとがめになりました。
そして「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」と命じました。
 

 この時から今に至るまで、キリストを信じる人々は全世界ですべての造られたものに福音を宣べ伝えます。

 

ヨハネによる福音
 21・1その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。2シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。3シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。4既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。5イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。6イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。7イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。8ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。9さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。10イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。11シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。12イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。14イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

 ヨハネ福音書21章は最終編集者によって加えられたと言われています。
 ティベリアス湖はガリラヤ湖の別名です。復活のキリストに遭遇した弟子たちは、故郷に帰って漁師に戻ったように書かれています。
 弟子たちは自分たちの日常生活の中で復活のキリストが共におられることを実感します。

 

 私たちも日常生活の中で復活のキリストと共にいることを実感できますように。
 

ルカによる福音
〔そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、〕24・35道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
 36こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。37彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。38そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。39わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」40こう言って、イエスは手と足をお見せになった。41彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。42そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、43イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
 44イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」45そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、46言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、48あなたがたはこれらのことの証人となる。」

 ルカ福音書のエマオに向かった二人の弟子の物語の続きが朗読されます。
 彼らがエルサレムに戻り、他の弟子たちに報告をしている最中に、イエスが弟子たちの真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように」と言います。
 ミサの中で私たちは何度も平和を祈ります。
その平和はアメリカやロシア、イスラエルの平和ではありません。それらの平和は武器や兵力で維持される平和です。
キリストの平和は、私たちの罪のために自らを死に渡された方によってもたらされた平和です。

 

フランシスコの平和の祈りを教皇フランシスコと共にささげます。

 

神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。

わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。