ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕16・16「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」17そこで、弟子たちのある者は互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」18また、言った。「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」19イエスは、彼らが尋ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じ合っているのか。20はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」

 

 イエスが告別説教を弟子たちにしても、弟子たちはそれがどんな意味なのか理解することができませんでした。

 イエスは「あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」と弟子たちに言います。

 イエスはご自分の死と復活を予告しますが、その言葉の意味が分かったのは、弟子たちが復活のイエスと遭遇したときでした。

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕16・12「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

 

 イエスは弟子たちの弁護者となる真理の霊を遣わします。その真理の霊は聞いたことを語ると言われます。だれから聞くのでしょうか。イエスからではないでしょうか。更に、「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。」とイエスは言います。

 父である神とイエス、弁護者である真理の霊は相互の信頼の内に一つになっているとイエスは言っておられるようです。

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕16・5「今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。6むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。7しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。8その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。9罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、10義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、11また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。」

 

 イエスが地上で弟子たちと共に過ごす間は時空の制約があります。しかし、イエスが去って、弁護者を送ってくだされば、その弁護者は弟子たちが迫害を受けるたび、いつでも、どこでも、弟子たちと共にいて、力づけてくださるとイエスは言っているように思います。

 

 弟子たちは、迫害という逆境の中で、弁護者が共にいてくださることを実感したと思います。