マタイによる福音
〔そのとき、イエスは〕9・9通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。10イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。11ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。12イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。13『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
マタイがいた収税所はガリラヤとヨルダンの境界に位置し、通過する人から通行税を徴収する場所だったようです。
町田クリスチャン・センター牧師の杉本智俊先生は取税人について次のように述べています。」
取税人という職業は、ユダヤ人から「罪人」と並べられるほど、蔑まれていました。なぜなら取税人たちは、ローマ帝国のために同胞のユダヤ人から税金を取り立てていたからです。つまり、ローマ人の手先と軽蔑されたのです。取税人の仕事は、ローマ帝国に納める税金をユダヤ人たちから取り立てることです。税金には、収入に対する税金(所得税)や財産に関する税金(住民税)、通行税など、さまざまなものがありました。税金を集める仕事は、その地域の総督に与えられていましたが、実際には、税金を集める〝収税人”を現地で募集し、入札でいちばん高い値段をつけた人に取税人の権利を与え、集めさせました。取税人としての給与は、ローマ帝国から支払われるわけではなく、その分も含めて、ユダヤ人たちから徴税するというシステムでした。
つまり、取税人の権利を買った人は、指定された期日までに、指定された税金をローマ帝国に納めなければいけませんが、そのためにユダヤ人たちからどのくらい税金を取り立てるのかは、取税人自身に任されていたのです。ローマに納める金額は決まっているため、たくさん取り立てれば、その分、取税人たちの収入が増えるということです。当時のユダヤ人たちにとって、神の民である自分たちが、異邦人(外国人)であるローマ人に支配されていること自体、受け入れがたいことでした。
収税所の仕事はローマ総督からの請負の仕事ですから、無責任に放棄するとローマ総督から処罰されることが考えられます。おそらく、マタイは自分の仕事を誰かに委託した後で、自宅に戻り、自分の仲間たちと別れの宴会を開いたことが、今日の物語ではないでしょうか。
ファリサイ派の人々がその様子を見て、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と弟子たちに迫ると、イエスは「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」と返します。
徴税人はユダヤ社会からみればアウトカーストの人々です。イエスは、アウトカーストの人を招く救い主でした。