マタイによる福音

 〔そのとき、〕22・34ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。35そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。36「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」37イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』38これが最も重要な第一の掟である。39第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』40律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

 

 ファリサイ派の律法の専門家がイエスを試そうとして「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」と訊いたのは、律法には613の掟があり、イエスの答えでイエスの律法の知識がはかれると思ったからかもしれません。

 イエスは申命記6章5節の「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」を引用します。この掟を申命記の規程に従って、ユダヤ人は日に二度唱えました。

 イエスはレビ記19章18節の「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」という掟を加えます。

 主である神を、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして愛することと、自分自身を愛するように隣人を愛することは、一つのコインの表と裏です。

 ユダヤ人だけではなく、神はすべての人間をご自分の似姿として創造されました。

 神を愛しているかどうかは、隣人を愛しているかどうかによって知ることができます。

 

 神を愛していると言いながら、隣人を辱め、殺す人間は神を愛していないことを行動によって明らかにしています。

 

 天の元后聖マリアについては女子パウロ会ホームページをご覧下さい。

 https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=082202

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに〕22・1たとえを用いて語られた。2「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。3王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。4そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』5しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、6また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。7そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。8そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。9だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』10そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。11王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。12王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、13王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』14招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」

 

 イエスのたとえは聞き手の心を揺さぶる謎かけのような効果があります。

 イエスのたとえは実際にはあり得ない話のように思えます。

王子の結婚の披露宴の招待状が届いたら、大変名誉なことだと思い、たとえ他の予定が入っていたとしても、すべてキャンセルし、失礼のないような服装を準備し、当日は喜んで披露宴に参加するはずです。

 ところが、王が招待客に、婚宴に来るよう家来たちを遣わすと、招かれた人たちは、婚宴に来ようとしませんでした。更に別の家来を使いにやると、無視したり、家来を捕まえて乱暴し、殺してしまいます。

 そこで、王は、軍隊を送り、招待を受けても応ぜず、王の家来を殺した者たちを滅ぼし、その町を焼き払いました。

この話を聞いていた祭司長たちや民の長老たちは、まさか招待を受けた客が自分たちのことだとは思っていませんから、王がそうするのは当たり前だぐらいに思っていたはずです。

王の招待を拒絶した客とは自分たちのことを指していると気づいた彼らはイエスに対する敵意を強めます。

 たとえの後半部で、王の宴会に招かれたのは、たまたま通りを歩いていた人々でした。宴席が一杯になった時、王が客を迎えようとすると婚礼の礼服を着ていない人が一人いました。王が「友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか」とその人に訊いても黙ったままでいると、王はこの男を、縛って、外の暗闇に放り出すよう側近の者たちに命じました。

 道を歩いていると突然王の家来から婚宴に連れてこられたのだから礼服を着ていないのは仕方ないように思えますが、礼服を着ていなかったのは一人だけだったことを考えれば、招かれて実際に婚宴の席に着くまでは礼服を着用する間があったと考えられます。

 礼服は王の宴席に思いがけなく招かれた人が、それに感謝して身を整え、ふさわしい服装を身につけることです。

 

 聖ピオ10世教皇については、女子パウロ会ホームページをご覧下さい。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=082101

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕20・1「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。2主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。3また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、4『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。5それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。6五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、7彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。8夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。9そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。10最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。11それで、受け取ると、主人に不平を言った。12『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』13主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。14自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。15自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』16このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

 

 イエスはペトロの求めに応じて、ご自分に従う者は、報いを受け、永遠の命を受け継ぐと約束しましたが、「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」と言い加えました。

 その後イエスは、たとえを語られます。たとえの最後に、「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」と加えます。

 ぶどう園の主人とそこで働く労働者のたとえは、労働者が得るのがその働きに応じての報酬だとしたら、最初に雇われた人の不平はもっともです。

 イエスは、ガリラヤ湖畔で最初にご自分の弟子となったペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネたちを念頭にこのたとえを語ったのかもしれません。

 イエスの弟子は、イエスに雇われて報酬を受け取る労働者ではありません。

イエスの弟子たちがそのことに気づくのは、復活したイエスが彼らに現れたときでした。

 

 聖ベルナルド修道院長教会博士については女子パウロ会ホームページをご覧下さい。。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=082001