マタイによる福音
〔そのとき、〕22・15ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。16そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。17ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」18イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。19税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、20イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。21彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
年間第29主日のみ言葉のテーマは、「神の似姿である人間」です。
年間第29主日のみ言葉のテーマは、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」というイエスの言葉です。この言葉は大変有名ですが、その意味は様々に解釈されています。
第一朗読はイザヤの預言です。イザヤ書40章から55章は、捕囚期の末期にバビロンで活動した第二イザヤと呼ばれる預言者の言葉だと言われています。
本日の朗読に登場するキュロスはペルシャ帝国を建国した王です。イザヤはキュロスを主が油を注がれたと言います。旧約聖書では、預言者が人に油を注ぎますが、それは主が預言者によって油を注ぐことであり、そのことによって主は特別の使命を与えます。
主は異邦人に油を注ぎ王とし、捕囚状態にあるイスラエルを解放する使命を与えたとイザヤは言います。
「わたしが主、ほかにはいない。」と主である神は宣言します。
キュロスは分からないまま主が彼に与えた使命を果たしますが、やがて彼だけではなく、「日の昇るところから日の沈むところまで」人々が主である神を知るようになります。
マタイ福音ではイエスが律法学者と民の長老たちを激しく非難したために、彼らは怒り狂い、イエスを捕らえようとしましたが、群衆を怖れました。そこで、ファリサイ派の人々は出て行き、ヘロデ派の人々と一緒にイエスの言葉じりを捉える罠を仕掛けます。
彼らは、「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」と尋ねます。
ファリサイ派の人々の「税を納めるべきか」という問いに「納めよ」と言えば民衆を裏切るローマの犬となり、「納めるな」と言えばローマに対する謀反(政治犯)として告発されます。
イエスがどちらの答えを口にしても、イエスを訴える口実を得ることができると彼らは思っていました。
イエスは彼らの悪意(偽善)を見抜き、「デナリオン銀貨を見せなさい」と言われます。
イエスが彼らが見せた銀貨を示し「だれの肖像と銘か」と訊くと、彼らは「皇帝のものです」と答えました。
ローマのデナリオン銀貨には、ローマ皇帝の顔(横顔)が刻まれ、「神の子」といった称号や偶像的なデザインが含まれていました。
他方、律法(モーセの十戒)では偶像崇拝が厳しく禁じられていました。
イエスは彼らに「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えました。
銀貨には「皇帝の肖像」が刻まれているから皇帝に属します。ならば、「神の肖像」が刻まれているのは何でしょうか?それは人間自身ではないでしょうか。
創世記には「神はご自分にかたどって人を創造された」と書かれています。
イエスの言葉を、「皇帝の像が刻まれた銀貨は皇帝のものだか、神の像が刻まれた人間は神のものだ」と言ったと受けとめることができます。
言葉の罠を仕掛けようとしたファリサイ派とヘロデ派の人々に、イエスは税金は皇帝に返せばよい。しかし、あなたの命、あなたの心、あなたの存在そのものは、神の刻印が押された「神のもの」だと言ったのです。
イエスに質問した人々は、イエスをその場に残して立ち去りましたが、彼らはイエスの言葉を納得したのではなく、イエスの言葉じりを捉えようとし続けます。
世界の情勢を見ると、為政者たちが神のものに手をつけて自分のものにしようとしているのではないかと思えます。
「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」というイエスの言葉が、為政者たちに届くよう祈りましょう。
また、私たちがそれぞれの場所で、自分が「神のもの」であることを思い出し、その愛の刻印にふさわしい歩みを進めることができますように。