マタイによる福音

〔そのとき、〕21・33イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。34さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。35だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。36また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。37そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。38農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』39そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。

 40さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」41彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」42イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。

『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』

43だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」

 

 ぶどうはメソポタミア文明の発祥の頃から栽培され、ぶどう酒が作られていました。また、紀元前2000年頃栄えたエジプト王朝の壁画にはぶどう酒の搾り機や壺が描かれています。

 古代オリエントやエジプトではぶどうの栽培、ぶどう酒の製造はなじみ深いものだったようです。

 旧約聖書と新約聖書にも、ぶどうの話はよく出てきます。

 

 第一朗読で、イザヤが「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために そのぶどう畑の愛の歌を。」と歌い出したとき、この歌を聞く人々は、イザヤの友人が恋人に裏切られたことを歌う失恋の歌だと思い、怒った友人が下す行動を当たり前だと考えたはずです。

 しかし、この歌に出てくるぶどう畑とは不実の女性のことではなく、イスラエルの家、ユダの人々、つまり自分たちを指していると聞き手は後で気づくのです。

 

 このイザヤの論法と同じ手法をイエスも用います。先週の第26主日でイエスがしたぶどう園のたとえを聞いた祭司長や長老たちは、「この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか」というイエスの問いかけに、「兄の方です」と答えざるを得なくなりました。これによって、イエスから、彼らは神の救いから排斥されていると自分たちが思っていた徴税人や娼婦よりも心が頑なで、回心の実を結んでいないことを自分の口から告白させられました。

 

 今週のたとえはぶどう園の主人と管理を任せられた農夫のたとえです。ぶどう園の主人は「垣をめぐらし、その中に絞り場を掘り、見張りのやぐらを立て」とあります。

ぶどう園を拓くには、丘から石を取り除き、斜面に石垣を積み、段々畑を作り、垣根をめぐらせて動物の侵入を防ぐ重労働が必要でした。ぶどう畑の主人は丹精込めた準備をして、ぶどう園を作業をする農夫たちに貸し出しました。

 

 やがて、収穫の時が近づいたので、収穫を受け取ろうと僕たちをぶどう園に遣わしました。すると、農夫たちは、遣わされた僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺しました。主人は他の僕たちを更に多く送りましたが、農夫たちは同じ目に遭わせました。最後に「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」と、主人が自分の息子を遣わすと、彼を見た農夫たちは「これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう」と言って、ぶどう園の外にほうり出し殺してしまったと言うのです。

 イエスのたとえは現実にはあり得ないような内容です。この話をした後、イエスは「ぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」と祭司長や民の長老たちに尋ねます。

 彼らは、「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」と答えざるをえません。

 するとイエスは、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。」という詩編の言葉を引用し、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」と言うのです。

 その言葉を聞いたとき、祭司長たちやファリサイ派の人々は、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、イエスを捕らえようとしましたが、群衆を恐れて手が出せませんでした。

 イエスの言葉は、のちに、キリスト信者たちの異邦人宣教への手がかりとなりました。

 

ひとこと

 ぶどう園とそこで働く農夫のたとえは、わたしたちにとって何を意味しているのでしょうか。

 今日のたとえのぶどう園は、わたしたちの家庭、学校、社会という、この世界をたとえているともとれます。

 この世界の主人である神は、わたしたちの家庭、学校、社会が良い実を結ぶよう期待して、その世話をわたしたちに委ねておられるのです。

 神から委ねられた使命を身近なところで果たしていく勇気をいただくことができますようにと祈りましょう。