マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは言われた。〕23・27「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。28このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。29律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。30そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。31こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。32先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。」

 

 律法学者とファリサイ派の人々にイエスは「先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。」と言います。聖書協会共同訳は「あなたがたも、先祖たちが犯した罪の升目を満たすがよい」となっています。

 果たしてそれはどのような意味なのでしょうか。その背景と意味には、以下のような深い皮肉と警告が込められています。

1. 「自分たちは先祖とは違う」という偽善への指摘この発言の直前で、宗教指導者たちは「もし自分たちが先祖の時代に生きていても、神の預言者を殺すような残酷な真似はしなかった(預言者の血を流す側にはつかなかった)」と主張していました。しかし、彼らは口ではそう言いながらも、目の前に神から遣わされた本物のメシア(イエス)をまさに排斥し、殺そうとしていました。イエスは、その矛盾(自分たちは先祖よりましだと思い込んでいる傲慢さと偽善)を見抜いていました。

2. 「悪の器を満たす」という皮肉と預言「先祖が始めた悪事の仕上げをする(口語訳では「先祖たちがした悪の枡目を満たすがよい」)」とは、「自分たちは先祖のような悪人ではないと言いながら、お前たちが今まさにやっていること(イエスや神の使者たちを退け、迫害すること)は、先祖が代々積み上げてきた悪事の総仕上げ、つまり完成なのだ」という痛烈な皮肉です。歴史上、イスラエルの人々は神が遣わした預言者たちをたびたび迫害し、殺害してきました。そして今の世代の指導者たちは、その歴史の「最終段階」として、神の子であるイエスを十字架にかけようとしている――その罪の決定的な大きさを指摘しているのです。

3. 逃れられない責任と警告この言葉のすぐ後で、イエスは「蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか」と続けています。自分たちの心の中にある悪意や偽善に向き合わず、「自分たちは先祖とは違う」と見せかけの義(預言者の墓を飾るなど)に逃げ込んでいる姿勢を厳しく断罪し、その偽りがもたらす破滅的な結末を警告しています。

 律法学者やファリサイ派の人々に対するイエスの激しい非難は、彼らの回心を望んでのことだと思います。