マタイによる福音16:13-20

 13 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。14 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」15 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」16 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」20 それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。

 

神が託す鍵

 

 第一朗読はイザヤの預言です。「宮廷を支配しているシェブナ」は王ではなく宮内長官でした。宮内長官は、宮廷の全事務や王室の財務を管轄する最高要職です。彼が退けられた理由は、高慢と自己中心的な態度だったと言われます。彼は、宮内長官としての立場を人民や王のために使うのではなく、個人の野心と誇示のために利用していました。神はイザヤを通じて「お前は他国へ追放され、そこで死ぬ」と宣告し、その職を解きました。

 主である神はシェブナに代わってエルヤキムを選びました。エルヤキムは自らの栄誉ではなく、王と神に忠実に仕える人物でした。イザヤ書22章21節には「彼はエルサレムの住民とユダの家との父となる」とあります。自身の特権に執着したシェブナとは対照的に、民を養い保護する指導者として期待されました。

 彼に与えられた「ダビデの家の鍵」(イザヤ22:22)は、古代の王宮における最高権威と統治権の委任を象徴しています。その鍵は、王宮の宝物庫や重要区画へのアクセス、そして王の代理としての任免権や決裁権を握る最高権力を指します。

 エルヤキムは主である神から絶大な権威を受けることになりますが、それに見合った公平な裁きを行う義務を負います。

 

 本日の福音朗読では、イエスが弟子たちに「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」と問いかけます。人の噂話は気楽にできます。弟子たちは「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」と答えました。

 これに対してイエスは、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」と更に問います。マタイ福音書ではペトロはイエスの問いにすぐ答えたように書かれていますが、イエスが問いかけた後、しばらく弟子たちは沈黙し、お互いの顔を見合わせていたのではないかと思います。その後、ペトロが代表して答えたのだと思います。

 

 ガリラヤ湖でイエスはシモンとアンデレの兄弟に、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言いました。イエスが何者であるかを知らないままに、二人はすぐに網を捨てて従いました。他の弟子たちも「わたしについて来なさい」と言われて付き従ったのでした。

 イエスから「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と訊かれて、弟子たちは沈黙してお互いの顔を見合わせながら、自分たちが付き従っている目の前のこの人は、一体誰なのかを改めて考えていたのかも知れません。

 

 ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えると、イエスはペトロに「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」と答えます。そして、イエスは「御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられ」ました。

 弟子たちが考えているメシアとイエスが言うメシアとは大きな開きがあったのです。

 

 この後、イエスが「エルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている」と弟子たちに打ち明け始めると、ペトロはイエスをわきによせ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」といさめ始めました。イエスはペトロに「サタン引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」と厳しく叱ります。サタンとは、神のことから人の目をそらし、神の計画を挫折させようとする存在です。

 

 ペトロはイエスによって、教会の土台として「ペトロ」という称号を与えられ、「天の国の鍵を授け」られ、その直後、「サタン引き下がれ」と厳しい叱責を受けているのです。このことをどのように考えたらよいのでしょうか。

 

 今日の福音はイエスがフィリポ・カイザリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とたずねるところから始まります。フィリポはヘロデ大王の子の名前であり、カイザリアはカエサル(皇帝)という言葉に由来します。カエサルの町といったところでしょうか。この町には異教の神をまつった神殿があったといわれています。

 

 「イエスとは誰か」という問いの答えには、答える人の生死がかかっていたのです。ペトロがそのことを十分自覚していたかどうか疑わしいです。しかし、ペトロに「イエスはメシア」だと答えさせたのは、「人間ではなく、天の父」なのです。当時のペトロは自分が言った言葉の真の意味をよくわきまえてはいませんでしたが、イエスの復活後、「イエスこそ、メシア、生ける神の子」と信仰告白をする者の運命を引き受けることになります。信仰は神からのたまものであることがここにはっきりあらわれているとわたしは思います。

 

 教会は、神の恵みに支えられて「イエスこそ、救い主、生ける神の子」であると信じる信仰の土台の上に建てられているのです。

 

 「あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」というイエスに対して、今日私たちはどう答えるのか、その答えは言葉だけでなく、私たちの態度によって示されねばなりません。その答えに私たちの教会の運命がかかっています。

 

 聖体拝領前の信仰告白は、日本ではペトロの信仰告白が用いられてきましたが、ミサ典礼書のラテン語規範版にある、部下のいやしを願う百人隊長の信仰告白が標準となりました。しかし、典礼委員会はペトロの信仰告白を廃止したのではなく、選択肢として残しました。

 

 聖体拝領のたびに、ペトロと共に「あなたは神の子、キリスト。永遠の命の糧。あなたをおいて誰のところに行きましょう」と信仰告白をいたしましょう。