マタイによる福音
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕18・15「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。16聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。17それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
18はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。19また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。20二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
AIで今日のイエスのみことばの意図を調べて見ました。
18章15〜17節では、共同体の中で兄弟が罪を犯した場合の段階的な解決手順が教えられています。まず当事者同士で話し合う解決しなければ1〜2人の証人を立てるそれでもダメなら「教会(共同体全体)」に訴えるこの直後に「つなぐ/解く」の言葉(18節)が続きます。
したがって、ここでの「つなぐ/解く」の本質的な意味は、権力を行使することではなく、「壊れた人間関係を修復し、和解に至らせる(あるいは最終的に共同体の秩序を守る)ための裁定」にあります。
つなぐ(繋ぐ・縛る):悔い改めない者を共同体の交通から外す(破門・処置)。解く(解き放つ):悔い改めた者を赦し、再び共同体へと受け入れる。
イエスは、共同体が一致して祈り、下した和解や回復のための決定を、神ご自身が権威をもって裏付けると約束しているのです。
「二人または三人」が意味するもの:法的な最小単位「二人または三人がわたしの名によって集まるところ」という言葉は、現代では「少人数の祈り会」の励ましとしてよく引用されますが、当時のユダヤ法(律法)の文脈では法的な証言が成立する最小人数(旧約聖書・申命記19章15節など)を意味していました。つまりイエスは次のような法的な対比を示しています。ユダヤの伝統的法廷(サンヘドリン等)イエスが示す新しい共同体裁判や決議には多数の長老や権威が必要わずか「二人または三人」であっても律法の規定や人間の権威に基づくイエスの名によって心を一つにするならば「たとえ二人や三人というごく小さな集まりであっても、わたし(イエス)の名によって合意し、祈り、決定するならば、そこにわたし自身が臨在し、その決定は神の御前で有効である」という、権威の劇的な民主化とイエスの臨在の約束がここにあります。
「どんな願い事も叶えられる」の真意「心を一つにして(ギリシャ語でsymphoneō:シンフォニーのように調和して)求めるなら、天の父はかなえてくださる」という約束も、個人的な欲望や我がままを何でも叶える魔法の呪文ではありません。前後の文脈に照らせば、この「願い事」とは主に「過ちを犯した兄弟との和解」「共同体の合意と回復」「裁きの正しさ」を求める祈りを指しています。私利私欲ではなく、イエスの意志(イエスの名)にかなう形で、お互いがエゴを捨てて心を一致させて祈る時、神の御心が地上で実現するということを教えています。
まとめ:イエスが語った真のメッセージこの一連の言葉が本来意味しているのは、以下の3点に集約されます。
和解と回復の権能:共同体には、罪を犯した者を正し、赦し、回復させるための真の権威(天の裏付け)が与えられている。
制度ではなく臨在:大寺院や巨大な組織構造ではなく、「イエスの名のもとに集まる二人または三人」のささやかな交わりの中にこそ、キリストご自身が共におられる。
一致の祈りの力:自分勝手な要求ではなく、キリストを中心として心を一つにして求める祈りこそが、天的影響力を持つ。要するにイエスは、「大勢の権力者や制度に頼るのではなく、少人数であってもわたしを中心として愛と和解のために心を一つにするなら、そこに天の権能とわたしの臨在がある」という、新しい神の民(教会)のあり方を提示したのです。
ミサの前提は、「二人または三人がわたし(イエス)の名によって集まる」ことです。