マタイによる福音

 18・1そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。2そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、3言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。4自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。5わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。

 10これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。12あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。13はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。14そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」

 

 弟子たちは、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」とイエスに訊きますが、彼らは「自分たちの中でだれがいちばん偉いのか」をめぐって仲違いをしていたのだと思います。

 弟子たちの中には他の弟子から軽んじられている人もいたのではないかと思います。

 「ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。」というイエスの問いかけで、イスカリオテのユダのことを考えました。

 ユダはイエスを裏切った後、イエスが自分を捜しておられると気づくことができず、みずから命を絶ってしまいました。

 イエスは「これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」と明言しました。

 

 聖クララおとめについては女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=081101

アッシジには聖フランシスコ教会から少し行ったところに聖クララの教会が建っています。