マタイによる福音
〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕13・47「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。48網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。49世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、50燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。51あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。52そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」53イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去った。
イエスが「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」と言った時、弟子たちは、「分かりました」と答えました。
イエスが群衆にたとえで話す理由を、「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。」と弟子たちに言っています。
しかし、「聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。」のは群衆だけではなく、弟子たちも同じだと思います。
わたしたちは「分かった?」と誰かから聞かれると、つい「分かった」と言いがちです。その「分かった」は相手の話の内容を理解したという意味ではなく「分からなかった」と答えた後のやり取りが面倒になるのを避けるため、また相手の機嫌を損ねないように忖度するためかもしれません。
弟子たちがイエスの言葉の意味を理解したのは、イエスのために自分の命を捨てる時になってからだと思います。