マタイによる福音
〔そのとき、〕13・10弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。11イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。12持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。13だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。14イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。15この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』16しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。17はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」
イエスは弟子たちに「しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。」と言いました。
しかし、弟子たちもまた、イエスの言葉と行いを「見ても見ず、聞いても聞かず、理解できな」かったのだとわたしは思います。
あえて福音記者がイエスの弟子に対する言葉を記したのは、弟子たちはイエスの近くで、イエスから直接教えを受けていたにもかかわらず、イエスの言葉を理解できず、最終的にはイエスを裏切ってしまったことを残すためではなかったかと思います。