マタイによる福音

 12・46イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。47そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。48しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」49そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。50だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

 

 イエスの母と兄弟たちがイエスに話したいこととは何だったのかは福音書に書かれていません。

 マルコ福音書では、イエスの家族は「イエスが気が変になっている」という噂を聞いて、彼を「取り押さえる」ためにやってきました。

 食事も取らずに群衆に囲まれ、律法学者たちから「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」などと非難されているイエスを見て、これ以上事態が悪化する前に「一度ナザレの自宅に戻って頭を冷やし、静養しなさい」と説得するのが一番の目的であった可能性が極めて高いです。

 家族が来ていることを知らされたとき、イエスは「だれがわたしの母、また兄弟なのか。……神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」と言います。

 このイエスの強い拒絶ともとれる態度は、家族の人間的な心配や、活動を止めさせようとする説得が、神から与えられた使命(福音を宣べ伝えること)と対立するものだったからにほかなりません。

 家族の語ろうとした言葉は、イエスにとっては「神の御心」を妨げる誘惑や障害になってしまうため、あえて血縁の絆を相対化して見せたのです。

 

「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。」(マタイ10:37)