マタイによる福音

 〔そのとき、〕11・20イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。21「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。22しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。23また、カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。24しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」

 

 イエスはコラジン、ベトサイダを呪い、カファルナウムの破滅を望んだように思える言葉です。

 コラジン、ベトサイダ、そしてカファルナウムは、いずれもガリラヤ湖畔にある町です。イエスはカファルナウムを宣教活動の「拠点(自分の町)」とし、これらガリラヤの町々で最も多くの奇跡(病人の癒やしなど)を行い、神の国の教えを説きました。

 それにもかかわらず、これらの町の人々はイエスの言葉を受け入れませんでした。

 解説によれば、イエスが怒っているのは、彼らがイエスに反抗したり迫害したりしたからではなく、目の前で神の恵みを見聞きしながら、それらに無関心で悔い改めないことに対して、預言者的な警告を投げかけているのです。

 「陰府にまで落とされる」という言葉も、カファルナウムの破滅を望んでいたわけではなく、悔い改めない者たちに対する警告です。

 イエスと出会った人間は、見物人の立場を取ることは許されません。イエスを信じて付き従うか、イエスを否んで離れ去るか選ばざるを得なくなります。