マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕10・24「弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。25弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。

 26人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。27わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。28体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。29二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。30あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。31だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。

 32だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。33しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

 

 このイエスの言葉によれば、大祭司の屋敷でイエスを三度も否んでしまったペトロは天の父の前でイエスから「知らない」と拒絶されることになります。

 復活後イエスはティベリアス湖畔でペトロたちに現れ、彼を責める代わりに食事を共にします。そして、ペトロが「三度否んだ」ことに対応するように、三度繰り返して「わたしを愛するか」と問いかけました。最期に、ペトロが「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」と答えると、イエスはペトロに「わたしの羊を飼いなさい。」と命じます。

 イエスはペトロをゆるしただけでなく、彼に使命を与えました。

 ペトロを始めとした弟子たちにとって復活したイエスと遭遇することは、イエスによって赦され、使命を与えられることだったのだと思います。

 

 聖ベネディクト修道院長については女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=071101