マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕10・16「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。17人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。18また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。19引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。20実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。21兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。22また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。23一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。」

 

 「あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。」というイエスの言葉の解釈はさまざまです。

 しかしこの言葉は、世界の終わりに起こるキリストの再臨とは別の出来事を指している、あるいは多重的な意味があるとする見方が有力です。

 「人の子は来る」は、「復活と聖霊降臨」を指すという解釈では、弟子たちがイスラエルの町々を大急ぎで回っている間に、イエス自身の十字架と「復活」、あるいはペンテコステ(聖霊降臨)の出来事が起こり、神の権威を持ったキリスト(人の子)としての支配が始まった、という捉え方です。

 この説では、「来る」とは世界の終わりではなく、イエスが復活によって栄光の姿で弟子たちの前に再び現れたことを意味します。

 しかし、「わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。」のは、イエスの復活、聖霊降臨後に生まれた教会で使徒たちやその後継者、信者たちが直面した事態です。

 「人の子は来る」というイエスの言葉を「世の終わりまであなた方と共にいる」という言葉と重ね合わせて考えると、迫害の最中に復活のイエスが来て共にいてくださるという意味かもしれないと考えます。