マタイによる福音
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕7・21「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。22かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。23そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』
24そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。25雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。26わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。27雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」
28イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。29彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。
イエスの山上の説教(マタイ福音書5章から7章)の結びの部分です。
山上の説教の冒頭は「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。」と語られますから、イエスは山で、近くに寄って来た弟子に語ったようにも思えますが、結びの部分は「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」とあるので群衆にもその声は聞こえていたことになります。
イエスは「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」と言います。
詩編で「主はわが岩、わが城」と歌われるように、「岩」は「主である神」そのものを指す言葉でした。
イエスは「わたしの言葉(教え)に従うことは、神という絶対的な岩の上に人生の土台を置くことと同じである」と言っているのです。
単なる一人の預言者や教師としてではなく、神の権威を持って語っているからこそ、自分の言葉を「岩」にたとえます。
この話を聞いた当時の群衆は、イエスの教えに「権威がある」ものとして律法学者たちとの違いに非常に驚きました。