ヨハネによる福音 6:51-58

 [そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。]51 「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」52 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。53 イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。57 生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。58 これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

 

 今日は「キリストの聖体」の祝日です。この祝日の発端は13世紀のイタリアの修道女でした。教皇ウルバヌス4世が公の祝日として制定しました。

 やがて聖体を「聖体顕示台」という美しい祭具に納め、街の中を練り歩く「聖体行列」が行われるようになりました。

 この祝日は「三位一体の祝日」の次の木曜日と定められましたが、その日が祝日でない国では日曜日に祝うことがゆるされました。日本の司教団も教皇庁の許可を得て、今日「キリストの聖体」を祝います。

 

 第一朗読の申命記のモーセの言葉、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」は、出エジプト記の荒れ野での出来事を指しています。

エジプトを脱出した人々が荒れ野に入ると、「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」と不平を言い出します。そのとき主である神は、モーセに「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。」と言い、民はそのパンをマナと名付け、約束の地に入るまで荒れ野で40年にわたってそれを食べ続けました。

また、イエスが宣教に先立ち、荒れ野で40日間断食をして、空腹を覚え、悪魔から、「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」と誘惑を受けると、イエスは『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と申命記の言葉を引用して答えました。

 

 第二朗読、使徒パウロのコリントの教会への手紙の「パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。」という言葉は、集会で一つのパンを裂いて分け合っていながら、仲間割れをしているコリントの教会の人たちへの勧告です。

 

 ヨハネの福音では、イエスのパン増やしの奇跡の後、大勢の人がイエスの後を追いかけてきたときに、イエスがパンについて長い説教をしました。今日の朗読はその一部です。ヨハネの福音書はしるしの書とも言われますが、イエスはパンや水について不思議な話をします。

 イエスが、食べると満腹できるパンの話をしているとばかり思っている群衆は、イエスの話を理解できず、ついて行くことができません。「食べると永遠に生きるパン」は食べると消化されてしまうパンではありません。ではどういうパンなのでしょうか。パウロがそのヒントを与えてくれます。

 

 パウロは、「わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。 パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです」(1コリ10:16-17)と言います。

 

 ふつうのパンは食べると消化されて私たちの体となりますが、パウロは、裂いて分け合うパンは一つだから、そのパンを分け合う大勢の人は一つの体になると言います。その体はイエスの体です。パウロが言いたいことは、一つのパンを分け合う人たちが仲間割れして、争うことはイエスの一つの体をバラバラにしてしまうことだということです。

 

 聖体を頂くことによって、私はイエスと合体しますが、私が苦手な人も同じパンに与ることによって、イエスと合体しています。

 

 聖体のことを、最近はエウカリスチアと言います。エウカリスチアはギリシャ語でなじみがないかも知れませんが、感謝という意味です。私たちがイエスの体を頂くことはイエスの感謝を頂くことです。

 

 そして誰でもイエスの感謝に与る人はイエスと共に永遠に生きるとイエスは約束してくださいます。

 

 一宮教会では「キリストの聖体」の日に初聖体を行います。

 聖体を受ける人たちは、これからの長い人生、うれしいことばかりでなく、もしかしたら辛いときや苦しいときの方が多いかも知れません。そんな時、ご聖体を頂き、イエスが共にいてくださることで勇気と慰めを受けることができますように。