ヨハネによる福音
〔そのとき、〕7・1イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。2ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。
10兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた。
25さて、エルサレムの人々の中には次のように言う者たちがいた。「これは、人々が殺そうとねらっている者ではないか。26あんなに公然と話しているのに、何も言われない。議員たちは、この人がメシアだということを、本当に認めたのではなかろうか。27しかし、わたしたちは、この人がどこの出身かを知っている。メシアが来られるときは、どこから来られるのか、だれも知らないはずだ。」28すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。「あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。29わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」30人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかける者はいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。
エルサレムの神殿でイエスが教えているのを見た人びとは「わたしたちは、この人がどこの出身かを知っている。メシアが来られるときは、どこから来られるのか、だれも知らないはずだ。」と言います。
彼らにイエスは「あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」と返します。
彼らは自分たちが「知っていると思い込んでいる」イエスのイメージに閉じこもって、イエスをお遣わしになった方を知りません。
イエスを取り巻くユダヤ人たちは、ロナガンの言うスコトーシスに陥っていると思えます。スコトーシスとは意図的な「認識の遮断」や「盲点」を指し、自らの認識能力を歪める「スコトーシス(暗点)」が、真理の探求や正しい判断を阻害します。
ナウエンと共に祈ります。
慈愛に富まれる神よ、
あなたはわたしたちの弱さやみじめさをご存じです。
しかも、わたしたちが弱ければ弱いほど、
あなたの助けは大きくなります。
わたしたちが、喜びと感謝をもって、
この恵みの時の贈り物を、
受けいれることができますように。
そして、日々の暮らしの中で、
み業を証しすることができますように。
今日は午後2時から、布池教会で司祭叙階、修道者誓願25周年、50周年、60周年、祝賀ミサと茶話会が行われます。担当は濃尾ブロックなので私も信者の方と午前中から布池教会に行きます。