マルコによる福音

〔そのとき、〕3・22エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。23そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。24国が内輪で争えば、その国は成り立たない。25家が内輪で争えば、その家は成り立たない。26同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。27また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。28はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。29しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」30イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。

 

 ベルゼブルは列王記下1章の「エクロンの神バアル・ゼブブ」に由来しますが、ここでは「悪霊の頭」という意味に使われています。また、サタンはヘブライ語で「反対者」を意味しますが、人間を神から引き離し、悪に誘う悪霊という意味で使われています。

 イエスの力あるわざを目の前にした律法学者たちは、そのわざを否定することはできないので、悪霊の頭の力でイエスが悪霊を追い出しているというデマを流します。

 洗礼を受けたイエスが、「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。」とき以来、イエスは“霊”の力をおびました。そしてその霊の力で悪霊を追い出しました。

 「聖霊を冒涜する者」とは聖霊の働きを目の前にしながら、それを悪霊のわざだと言いつのる者のことです。