ヨハネによる福音

〔そのとき、〕11・19マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。20マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。21マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。22しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」23イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、24マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。25イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。26生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」27マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

 

 イエスはマルタとマリア、ラザロの家をよく訪ねておられたようです。ラザロが危篤になったことを姉妹が伝えると、「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」と言われました。

 

 イエスがマルタたちの家に着いた時、ラザロが墓に葬られて四日も経っていました。

 

 マルタとイエスのやり取りで、イエスが「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」というとマルタは、「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」と返します。

 

 マルタの答えは、わたしたちの答えでもあります。

 

 キルケゴールという哲学者が『死に至る病』という本を書いています。精神科医の岡田尊司は同名の著書を出しています。岡田氏は、「死に至る病とは絶望のことである、と、かつて哲学者キルケゴールは書いた。絶望とは、神を信じられないことを意味した。だが今日、死に至る病の正体は、「親の愛さえも信じられない」こと、つまり「愛着障害」にほかならない――。」と言います。

 

 聖マルタ、聖マリア、聖ラザロについては女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=072901