マタイによる福音

〔そのとき、〕9・32悪霊に取りつかれて口の利けない人が、イエスのところに連れられて来た。33悪霊が追い出されると、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆し、「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と言った。34しかし、ファリサイ派の人々は、「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言った。

 35イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。36また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。37そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。38だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

 

 マタイ福音書9章18節から、イエスの癒やしが続きます。悪霊に取り憑かれ口の利けない人をいやした後も、イエスの活動は続きますが、「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」イエスは、弟子たちに「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」と命じます。

 

 イエスの奇跡の動機は、目の前の飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている相手を「深く憐れまれる」ことです。

 

 「深く憐れまれる」と訳されたギリシャ語は「スプランクニゾマイ」ですが、直訳すれば「はらわたが動かされる」となります。イエスは苦しむ人を「断腸の思い」でご覧になり、癒やし、赦されたのです。