マルコによる福音

〔そのとき、〕10・17イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」18イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。19『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」20すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。21イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」22その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。

 23イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」24弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。25金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」26弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。27イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」

 

 イエスがガリラヤ湖のほとりで、シモンとその兄弟アンデレに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言った時、二人はすぐに網を捨てて従いました。つぎに、ヤコブとその兄弟ヨハネを呼んだとき、彼らは、「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について」行きました。

 

 イエスの前にひざまずいた人に「行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」とイエスが言ったのは、弟子たちを呼んだのと同じ呼びかけです。

 

 しがみついているものが多いと手放しづらくなるというのは、わたしたちでも同じことだと思います。

 

 鷲田清一さんは東日本大震災後、「価値の遠近法」ということを言っています。

 

「価値の遠近法」とは、どんな状況にあっても、次の四つ、つまり絶対なくしてはならないもの、見失ってはならぬものと、あってもいいけどなくてもいいものと、端的になくていいものと、絶対にあってはならないものとを見分けられる眼力のことです。

 

 イエスの前から立ち去った人は、イエスに付き従うことを、「絶対なくしてはならないもの、見失ってはならぬもの」とは思えなかったのでしょう。

 

 この価値の遠近法で、自分のまわりのものを仕分けしてはどうでしょうか。